佐倉爆心追う、の気ままな気持ち

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結果が全て

どの位長時間仕事をしたか、
どの位本気で仕事をしたか、
どの位考えて仕事をしたか、

これまでの仕事で、必要とされてきたキーワードです。しかし、今は違います。

どれだけ結果を出したか、
どれだけ利益を生んだか、

この2つしかありません。年功序列の世界では、前者で構わなかったのですが、社会システムのスリム化と、それに呼応した安値合戦。その中で求められるのは、徹底した個人管理と、成果主義という事になります。

酷い事を言えば、どんなに遊んでいても利益を出して、結果が残せるなら誰も文句は言わない。逆に、汗水たらして働いて、一日24時間をフルに使って働いても、利益や結果が出なければ誰にも認めてもらえない。そんな社会になりました。
実際、こういった生き方が、人間として見た時、本当に正しいのかという異論は有ると思います。それは否定しません。楽して儲けようとすれば、それなりの大きなリスクを背負うのは確かだし、そういった風潮の中で失敗して、人生が終わってしまう人も多数います。しかし、現実問題として考えた時、旧来の方法を守って、地道に仕事をこなしていった先には、リストラという冷たい社会の落とし穴が待っています。我々のような30代は、いやおうなしにこの流れに乗らなくてはならないでしょう。
丁度、高度経済成長時代に、従来の職人による手工業から、大量生産の時代に変わった時と似ています。いつまでも旧来の方法にしがみついた人は、一部の人を除き淘汰されてしまいました。あの時も、手で作らないのは味が無くなる、細かい仕事が出来ないと言った反発が強かった筈です。

あまりに無機質かもしれませんが、これからの時代を生き抜くには、何をおいてもまず結果を残すことが重要だと思います。結果の無い努力は、認められない、だからといって手を抜けば、辛いのは自分なんです。必要な事は、ある目標に対して、自らリスクをマネジメントする力。早い段階でリスクに気づき、リスクに対してどれだけ的確な対処が取れるか、そして目標を達成できるか、これが重要だと思います。
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by naka50ne | 2005-06-13 20:49 | ビジネス

認めない奴

私は今のプロジェクトでは、システム共通で使用するプログラムを発注元から提供してもらい、それを精査して開発担当の中国へ出荷するという仕事をしています。
当初は、発注元から提供される共通プログラムの品質が、一向に上がらないため、私も張り付いて手伝いをしていたのですが、中国で生産が始まると同時に、管理作業が多くなるため、プログラムに対しては指摘をするだけになりました。

品質を上げるには、それなりの指摘をしなければなりません。しかし、元々品質が悪い上に作業者の品質を良くしようという意識が欠如しているため、指摘の数が一向に減りません。一つのソースファイル(約500~2000行のプログラムが書かれている)で平均100項目くらいの指摘が上がります。それもプログラムをテストするのではなく、プログラムを読んでです。
中でも、システム全体として決められている、規約に沿っていない部分は、海外発注の場合、絶対に見せてはいけない部分なのですが、規約違反指摘はプログラム行と同等(つまり全く規約に沿ってない)なので、直してもらってる時間がありません。規約に沿って作るように、発注元の常務や部長へ再三申し入れていますが、改善される気配すらない。はっきり言って、作成者自身によるチェックをしてない、会社としてのレビューが出来ていない、テストをしていない、という最悪の作りっぱなしで提供しているのです。

私としてはしっかりと直るまで、中国への出荷は、見合わせたいのですが、共通という事もあり、出荷せざるを得ない状況となり、注訳や制限事項を加えて出荷します。その為、中国で実際に使用すると、不具合が相当数出てきます。これが、毎日大量に上がってきますので、その度に原因を調査し、プログラムの誤りであれば障害処理表を起票し、発注元に修正依頼を行います。
この障害対応は、対応による二次障害を防ぐ為に、必ず変更履歴を取りながら進めることが必要なのですが、発注元の担当者はその必要性を理解していません。変更履歴の作成を依頼すると、「めんどくさい」「忙しくてそんな暇がない」「動けばいいじゃん」という解答しか返りません。仕方がないので、再出荷されたソースと修正前のソースを、私の方で差分を取るのですが、修正依頼をした部分以外にも大幅に手が加わっており、とても安心して出荷できるものではありませんでした。変更事由が解らず、影響範囲も特定できない状態での出荷は、私自身許せません。しかし、マネージャーより、「不安な気持ちは判るが、今日出荷できないと、中国での遅れてしまい、取り返しがつかなくなる。発注元が保障をしているのだから、資料をまとめて送ってくれ。」という話があり、仕方なしに出荷しました。
先週の木曜日までは、これでなんとか進んだのですが、ついに金曜日、やってしまいました。

木曜日の障害対応で、これまで動いていた機能が動かなくなってしまうという、二次障害が発生してしまいました。一報を受けて、すぐに中国へは、昨日発送のものは破棄し、旧バージョンを使用するように指示を出し、同時に影響調査と修正依頼を発注元にお願いした。その姿を見ていたマネージャーは、社長を引き連れ、発注元の常務と部長を呼び出し、事態が発生した原因究明のためのアクション会議を行い、そこへ私と発注元の担当者が呼ばれた。
そこで、マネージャーよりこれまでの経緯と、申し入れした内容、そして現状について説明を求められた為、申し入れの内容は、再三に渡って依頼した依頼書の内容を読み上げ、現状については、実際に発注元から提出された現物をコピーし、配布することで理解してもらった。
次に、発注元の担当者には、今度の二次障害について、なぜ発生させてしまったのか、テストはしているのか、修正個所をなぜ知らせないのか、の説明を求められたが、彼曰く「今回のは、前回の出荷に変更したソースを1本提供し忘れただけで、二次障害じゃない。簡単な修正だからテストはしていない。修正個所はいちいちメモしておく暇がない。」という事だった。
その場に居合わせたメンバが、全員あきれる中、終始「俺は悪くない」という態度を貫き通したが、部長に諭される形で、最低限のテストと変更履歴の付与は確約して、会議は終了した。会議の終了は午後3時、本日分の修正をやってもらい、今夜中国へ出荷する予定だった。
私はもう一方の担当者から出荷されるプログラムの精査が先に入ったため、そちらを先に行い午後8時頃出荷を行いました。そして、そろそろ出来ているかなと、担当者を探すと、既に帰宅したとの事・・・サーバを確認すると、しっかりと出荷フォルダにモノが置いてあります。


なんですかそれ?


普通、出荷する時は、担当者がサーバに出荷物を置き、そのリリース連絡をこちらに行いますが、今日はそれすら無かった。加えて、出荷されたモノを見ると、まず出荷されたソースの本数と履歴の数が合わない。ソースの差分を取ってみると、変更された個所の記述が全く足りていない。修正されたプログラムの中には、1行が半角で250文字にもおよぶ記述も見つかり(普通は80字前後で折り返すのが礼儀)規約以前の問題で、プロとしての意識を疑わざるをえませんでした。
仕方が無いので、発注元の部長の所へ行き、その出荷が正式な物なのか?正式だとしたらなぜ連絡がないのか?加えてさっきお願いした事が、なぜ守られないのか?履歴に無い変更について事由を知らせて欲しい旨の申し入れをしました。とはいっても、もう午後9時、担当者とも連絡が取れず、部長自ら試験を行い、動作は保障するが事由は月曜日を待って欲しいとの連絡があったのが、日付が変わろうとしている時。
発注元の部長は平謝りに謝ってくれましたが、はっきり言って、もうあの担当者は信用できません。自己を貫いて突っ張るのはいいけど、やる事をやって下さいと言いたい。やる事やって、それでポリシーを貫いているなら尊敬もしますが、やる事やらずに突っ張る事は、たんなるワガママであり自己中心的な考えです。
プロとしてこの業界で生きて行くなら、もっと成長し欲しいと思う、そんな夜でした。


なんか、読み返すと愚痴になってるなぁ…
本当は私が全部仕様を押さえて、全部テストして、ダメな物は出荷させないって突っぱねれば良かったのかも知れない。自己反省も含め、これからどうやって取り組んでいくか、この週末は考えたいと思います。
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by naka50ne | 2005-06-11 16:26 | 日常

平等なもの

福沢諭吉は、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言って、生まれながらにして人は平等であり、学問を受ける上での上下は無い事を説きました。
この教えは、当たっているような当たっていないような不思議な感じを受けませんか?

人はみな平等であるという考え方自体が、私は間違っていると思うからです。なぜなら、平等という定義は、何らかの尺度があり、それが均一化している事によって、成り立つと考えるからです。そして、この尺度は、人によって価値観という考え方によって、如何様にでも変化してしまう脆弱なものです。見方を変えれば、価値観を変化させる事で、平等の様に見せる事が出来るだけで、実は全く違うという事になります。

例えば、身長という尺度で見れば、高い人~低い人まで様々にランク付けされてしまいます。好感度なんかもそうですよね!勉強にしたって出来る人~出来ない人にランク付けされるし、貧富の差だって、世帯の年収ベースで見れば、裕福な家庭~貧乏な家庭まだランク付けされます。また、性別にしたって、男と女がありますから、そこで区別されてしまいますし、神の世界においても、天国と地獄があるように区別されています。神の愛は平等だと言っても、神の愛は地獄までは届きません。
ありとあらゆる尺度によって、人は選別されますので、決して平等ではない事が判ります。誤解を恐れずに言ってしまえば、「人は生まれながらにして平等ではない。」という事になります。

そんな不平等な社会で生活する人間にとって、本当に平等なものは、時間と言う尺度です。地球が自転を続ける限り、時は誰にも平等に過ぎていきます。タイムマシンでもない限り、時空を越える事はできません。相対性理論では時空を越える事が、可能となっていますが、その理論を実現するエネルギーを人類は持っていません。
もちろん、寿命の長さは平等ではありませんが、1秒、1分、1時間という時間の進みは、誰にでも平等なのです。
つまり、時空を飛び越えられない人間にとって、時間は唯一平等に与えられた尺度だと言えます。

この時間を、どれだけ有効に使ったか、どれだけ無駄に使ったかで、その人の人生における密度というのが変わってくるように思います。
一番イイ例が、学校の夏休みじゃないでしょうか?
夏休みに入ると、子供は学校から解放され自由を手に入れます。24時間を好きに使って良い事になります。ここで、休みの使い方が、3通りに分かれます。
1つは、夏休み前半に集中して宿題を終らせ、8月頭位から弾けたように休みを謳歌する人。
2つは、夏休み当初から遊びまくり、最後の1週間で集中して宿題をする人。
3つは、夏休みと言えども、毎日の勉強を欠かさず行い、1日を勉強と遊びで区切る人。
こんな所じゃないでしょうか。でも、実はこの3パターンに入らない夏休みを過ごす人も、少なくないのです。
それが、夏休み前半にやるぞと意気込んがものの、3日もすると遊びが主になり、宿題の事は頭にあるけど、なかなか手が付けられずに、後半を迎え、最後の最後になって慌てて宿題をやる。そして、さらにそれで終る人と終らないで2学期の居残り勉強に命を賭ける人がいます。
どうですか?あなたは、最後のパターンではありませんでしたか?

最初の3つのパターンは、どれも遊びと勉強をきっちりメリハリを付けて時間管理してますので、宿題と言う成果物が出来上がり、かつ夏休みを謳歌する事が出来ています。一方で最後のパターンの人は、時間管理が出来てませんので、常に宿題の事が頭から離れず、折角の夏休みを謳歌できないばかりか、宿題も出来上がらなければ、成果物も出てこないという事になります。

これって、社会人になった今も、変わらないんじゃないですか?ながら仕事で、ダラダラ仕事をする人と、短時間に集中する事で、空き時間を作って余暇を楽しんでる人。どちらも同じ収入だったら、圧倒的に後者が良くないですか?

時間は、人にとって平等に流れている。その平等に流れている時間を、どう使うかで人には差が生まれる。同じ境遇で同じような環境にいる人と、差が出るとしたら、こんな所なのかなって思います。
私自身は、最後のパターンの子供でした。今、社会人になってもやはり変わってなかった事に、驚いています。でも、そこに気づかなければ、変わる事もありません。限られた時間をどれだけ有効に使えるか、密度高く使えるかを、今一度考え直してみたいと思います。
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by naka50ne | 2005-06-05 21:15 | ビジネス

現在・過去・未来

私の好きな言葉に、こんなのがある。
「子供怒るな、来た道じゃ、老人笑うな、行く道じゃ」
これって、短い文章の中に、すごく色々な事を言ってると思いませんか?

歳も30を越えて、最近特に感じるのが、この言葉なんです。周りでうるさくしている子供や、しつけのなっていない子供を見かけると、ついつい腹が立ちます。しかし、よく考えると、自分の子供の時を振り返れば、決して目の前にいるうるさい子供と、なんら変わりは無かったんですよね!幼さから来る自分勝手さ、強引さ、無教養な決めつけ、すべてやってました。意味も無く騒いで、周りにも迷惑をかけました。時には、注意した大人を逆恨みしたこともあります。結局同じ道を歩んでるんですよね!ただ、経験の差から、良し悪しの分別が子供より少しマシになっただけ。自分よりもっと大人から見れば、自分はまだまだヒヨッ子同然なんですよね。腹を立ててはいけないんですね。

また、老人って動くの遅いし、通勤とかではついつい邪魔にしたくなってしまいます。でも、よく考えると身体的衰えは、人間であれば当然出てくること。自分が邪魔に思っている老人の歳に、自分がなったときの事を考えると、やっぱり同じで動きは緩慢、下手すればその人よりも若い頃に動いていない分、動けてないかもって感じなんですよね!

結局のところ、人は今しか見えていないことが多い。自分がこれまで歩んできた道、これから歩もうとする道について、どれだけ深く考えられるか、どれだけ意識して生活できるかで、物事の見方って、意外と変わってくるように思います。さらにもっと進んで、自分の祖先、地域の過去、地方の過去、国の過去、世界の過去に目をむけ、自分の子々孫々、地域の未来、地方の未来、国の未来、地球の未来を考えられたら、今の自分がやらねばならぬことって、見えてくるように思います。

私の読んでいるメルマガで、「一日に何時間くらい自分で考えて行動してる?」という問いかけがありました。周りからの依頼や用件が多く、それを捌くだけで一日を終えるのは寂しいものです。それよりも、自分は何をするべきかを自分で考え自分で決めて行動することは、本当の人間らしい生き方をするためにも、必要なことなのかなって思います。
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by naka50ne | 2005-06-03 11:34 | 日常

自分で思った事を、自分の言葉で綴っていきたいと思います
by naka50ne
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