佐倉爆心追う、の気ままな気持ち

カテゴリ:日常( 87 )

都内散策

都内へ行ったついでに、各所を回ってきたので一日中歩き回ってました。帰ってからも各所にコメントを上げるのが精一杯で、気が付いたら、日付が回っていて、翌日になってこれをかいています。

3月10日といえば、60年前に東京が焼け野原にされた『東京大空襲の日』として、知られています。本題とそれるので、多くは書きませんが、先の戦争は、多大なる犠牲と不幸を生みました。それと同時に、今の発展の基礎を築きました。
戦争をする事に正義はない。あるのは建前としての詭弁だけ。多くの血が流れ、たくさんの尊い命を奪う戦争は、どんな理由であれ褒められる事ではありません。ただ、日本を見た場合、敗戦により社会の機能が根本から変わる事に成功しました。2.26事件で青年将校が掲げた、農地解放、財閥解体などが、実現したと言う意味では、今日の発展の基礎になっているのは、間違いありません。
昭和天皇は、8月15日を『敗戦の日』ではなく『終戦の日』と言い続けました。日本にとって本当に『終戦の日』となり、再び戦争をする事が無いように願いたいものです。

話を戻して、都内へ行った理由は、4月に入社する会社での、4月からの業務予定について説明を受けるためでした。時間が午後の遅い時間と言うこともあり、午前中に自宅を出て、ウォークスルーの意味を込めて、実際に通勤するであろう道のりをちゃんと電車を使い、駅構内を全て歩いて見ました。これまで、都内へ出る時は、ほとんどの場合車を使用していたため、電車で都内へ来たのは、本当に久々でした。
東京駅構内を歩いていて思ったのは、乗り継ぎ先となる京葉線乗り場が、非常に遠いことでした。動く歩道を乗り継ぎ、エスカレーターでガンガン下っていき、乗り換えるのに10分以上歩いたように思います。それにしても遠いなぁって言うのが、最初の感想でしたが、まぁ運動不足ぎみの俺には、日々の丁度良い運動かもしれません。
乗換えと歩く時間を合わせると、会社までは約1時間半になりますので、今の通勤時間と大して差が無い事が、救いかも知れません。それに、今までは車だったので、音楽を聴くくらいしか出来ませんでしたが、今度は電車なので、本が読める喜びがあります。今日も往復で1冊読みました。
仕事内容は、詳しく書けませんが、社長を始め、幹部の話を聞くと、俺に対して物凄い期待を寄せてくれていることが判りました。ポストとしても最低PL(主任)、試用期間中の成果によってはPM(課長)を用意すると言って頂きました。身に余る厚遇で、本当に頭が下がる思いでしたが、責任が重くなる分、求められる仕事の質も高い物となり、身の引き締まる思いがしました。与えられたミッションも、営業に近い部分なので、俺自身の希望を叶えて貰った形となりました。本当にありがたいお話です。ここで死に物狂いで頑張って、さらに上を目指そうと気持ちを新たにしました。

都内へ行ったついでに寄った所として、義妹の入院してる病院へお見舞いに行ってきました。3月8日に手術をしたばかりなので、さぞ落ち込んでるかと思いきや、結構元気だったので安心しました。義妹は先天性の股関節脱臼を持っており、その手術を受けるために入院をしています。一生付き合わなくてはならない病気なので、大変ですが本人はすごく明るくて元気なので、良かったなぁって感じです。
入院してる先は、都内の某大学病院なのですが、さすが都内というか、スペースが少ない分、非常に狭く変な作りをしてるなぁって思いました。まず驚いたのが、道路から病院へ入るときのスロープです。車避けのポールが大きすぎて、車椅子が通れそうにありません。また、勾配も隣にある階段と同じ角度なので、すごい急勾配です。車椅子の人が単独で登るのは不可能じゃないかって思いました。下はタイルなので、晴れてる日なら、タイルの継ぎ目が滑り止めになりますが、雨の日であれば、健常者でも危険な坂だなぁって思いました。入口まで延々と登っていくのですが、途中に休むスペースはありません。体力の無いお年寄りには、厳しいなぁって思います。また、屋根の付いている場所は明かりが無く、構内の照明が間接的に入っているだけでした。目の弱い人には危ないなぁって思います。構内へ入っても、個々の表示が小さく柱の位置を計算してないので、入口から見えづらい構造になっていました。いくら総合案内を用意してても、ちょっと不親切に思いました。
立地的には、スペースが無いので苦肉の策なのでしょうが、弱者の立場で見たとき、敷居が高い病院に見えるのは、いかがなものかと思います。病院って健常者には厳しくても、弱者に優しくあって欲しいなぁって思う次第です。

なんかまとまりが無くなりましたが、気づきの多い1日だった気がします。
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by naka50ne | 2005-03-10 23:23 | 日常

忠犬ハチ公

昨日、3月8日がハチ公の命日であることを、お友達の所で今朝知りました_| ̄|○
日本の三大忠義といえば、衣川で義経を守るために立ちはだかった弁慶と、主君の仇を討った赤穂浪士(忠臣蔵)と、渋谷駅で亡き主人の帰りを待ったハチ公だと勝手に思っています。(異論反論はあるでしょうが、主題と違うので省略)

さて、このハチ公についてですが、俺と同じ年代の人だと、映画から入ったって人が多いのではないでしょうか?私は映画から入りました。仲代達矢の演じる博士と、八千草薫の演じる奥さんが、イイ味を出していましたが、この映画は何度見ても泣きます。特に「ハチ、先生はもう帰っちゃこないのよ」って話しかけるシーンと、ハチ公が死ぬ間際に見る走馬灯のシーンは、思い出しただけでも、涙腺が緩むくらい泣けます。
映画のデキに関しては、ハチ公の表情が無さすぎなど、いろいろあるみたいですが、本当にあった史実を再現してるって意味では、すごく納得できるし感動できる作品だと思います。

このハチ公が、なぜ博士を待ち続けていたのかってのは、諸説があるみたいですが、俺は犬が本来持つ、帰巣本能が働いたためだと思います。犬は主人を帰巣として記憶するため、たとえ同じ家に住んでいても、その主人がいないことには安心しません。常に主人を追い求めているのが、犬なのです。狩猟をやる人は、犬を一緒に連れて行くことがありますが、獲物を追って山に入った犬が、呼べど探せど戻ってこなくなる事があります。ほとんどの場合が、山の反対側まで行ってしまった為に、声が届かず行方不明になるのだそうですが、そんな時は、車のある場所まで戻り、そこに汗を拭いたタオルを残して置く事で、一晩経ってから行くと、そのタオルの前でちゃんと待っているそうです。これは、主人の匂いのするものの傍で待てば、主人が来てくれる事を、本能的に理解するからなんだそうです。

ウチで飼っている犬は、俺ではなく女房を主人と思っているため、女房が家を空けるときは大変です。玄関の前から動かないで、その帰りを待っています。泊りがけで出かけても、玄関が気になって仕方ないらしく、一度はベッドに入りますが、チョット寝るとすぐに玄関へ行って帰ってこないか確認します。本当にけなげだなぁって思います。帰ってくると、飛びついて喜び、金魚のフンのように付いて回ります。その姿を見ると、長期旅行は出来ないなぁって思いますね。

ハチ公は死後、博士と一緒に埋葬され、やっと主人に会うことが出来て、安心できたんじゃないかと思います。渋谷のハチ公像は、最近ではあまり注目されなくなって来てますが、やっぱり 渋谷 = ハチ公 って気持ちは忘れたく無いです。それと共に、犬を無責任な気持ちで飼わないで欲しいと思います。どんな主人であっても、犬うから見た主人は心の安らぎ場所なのです。それをむやみに捨てたり、虐待できる人の気持ちが判りません。そんな事を思った朝でした。
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by naka50ne | 2005-03-09 11:52 | 日常

梅が満開だ

今日は本社やお客様先で会議ばっかりだったので、何度か車で移動してました。花粉症の俺としては、この時期の外回りは、マジきついです。
そんな中、お客様先から帰ってくる時、あるお宅の庭先に植えてある梅が満開でした。車で通り過ぎたので、じっくり見てる暇は無かったのですが、やっぱり綺麗ですね。

春先に咲く『梅』と『桜』は、葉の無い木から花だけが咲くという、珍しい種類の木です。この時期の『梅』と『桜』を見ると、あぁ日本人でよかったなぁって思います。可憐な梅の花と、ゴージャスな花吹雪になる桜、どちらも美しく、花見にはもってこいです。
花見って言う風習も、日本オリジナルの風習のようすね。花の下に集まり、花を愛でながら呑むお酒はやはり格別です。心がホッと和む瞬間ですね。花は人の心を癒してくれて、心地よい時間を演出してくれます。
『梅』や『桜』を愛でられることに、幸せを少しでも感じるなら、これからの宴会シーズンは、マナー良く呑みたいものですね。食い散らかしやゴミの投げ捨てなど、せっかくの美しい花を台無しにする行為は、慎みたいものです。

俺が日本人で良かったって思う瞬間って、花見をした時、花火を見た時、紅葉を見た時、寒い夜に鍋を囲む時って感じで、四季それぞれに良さを感じますね。異常気象のお陰で、陽気がおかしくなってるとはいえ、日本にはまだ四季がある。四季折々の幸せを、いつまでも感じられる心でいたいと思った今日この頃でした。
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by naka50ne | 2005-03-07 18:28 | 日常

嬉しいニュース

Excite エキサイト : 社会ニュース

チビクロサンボが、復刻するそうです。
幼稚園の頃、よく読みました!一番有名な、トラがバターになってしまう話は、本当に何度も呼んだ記憶があります。
チビクロサンボって名前は、確かに差別用語って側面があるのかもしれませんが、そういう、差別だって思って、この絵本を読んだ事は無かったですね。
ある意味、そういう差別だって決め付けるほうが、差別なんじゃないかって思うのは俺だけでしょうか?
チビクロサンボが知恵を使って、トラと退治する様は、子供の教育にとってマイナスではない、むしろプラスだとと思います。
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by naka50ne | 2005-03-03 19:58 | 日常

今日は女の子が主役

今日三月三日は、耳の日もとい桃の節句。いわるゆる『ひな祭り』です。今日ばかりは、女の子が主役です。ひな人形を飾り、桃の花やあられ、菱もちに桜もちを供えてお祝いをします。地域によっては送り雛という事で、今夜、川にお雛様を流す風習のあるところもあるそうです。
ただ、全てに共通してるのは、ひな人形は『早くに出して早くにしまえ』って事みたいですね!その理由は、遅くまで出しておくと、嫁に行くのが遅れるって事みたいです。でも、真相はどうなのでしょうか?
私の母方の実家では、小正月が過ぎてドンドン焼きが終わると、ひな人形を出し、三月三日の夕食前に全てを片付け、お供えしていたあられなどは、夕食に食べるのだそうです。もっとも、私の子供の頃は、三月三日に実家にいるなんて事、ほとんど無いので、行った時に食べちゃうってのが定番でしたが、昔はそうだったって聞きます。
まぁそのお陰かどうかは、定かではありませんが、妹は25歳で結婚しました。昔で言えば行き遅れと言われる年ですが、まぁ30代での結婚が増えた現在では、まぁ早い方なのかなって思います。

さて、この桃の節句、昔から疑問なのはなぜ祝日じゃないの?って事ですね。端午の節句が休日なのに対して、桃の節句は平日なんですよね!まぁそんな事を言い出すと、なんで節分は休みじゃないんだってのと、同レベルなのかも知れませんが、この辺の事情に詳しい人っていますか?

それから、この時期に思い出すのが、毎年学校給食で出ていた『菱形ゼリー』ですね!これは、シャーベット状になったゼリーで、結構美味しかった記憶があります。クラスに休みの子とかいると、じゃんけんで取り合った覚えがあります。それに、牛乳にはミルメークが付くので、ひな祭りの給食はすごく楽しみだったなぁ。(これ、同年代&同地域の人しか判らんか…)
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by naka50ne | 2005-03-03 17:14 | 日常

苦労と悩みは別物

苦労をしてる人は、悩みも多いかって言うと、そうでもないんじゃないかって思います。苦労とは、読んで字のごとく苦い労働ですが、どんな苦労にだって、必ず終わりがあります。まぁ中には苦労が一つ終わると、また苦労で苦労の連続だよって人もいると思いますが、それだって、一つ一つの苦労には切れ目があるし、目標とする終わりがあるんですよね。
じゃあ、悩みってなんだろうかっていうと、先が見えないんですよね。下手すれば現状も見えなくて、八方五里霧中って状態で、一体自分がどこへ向けばいいのか、何をすればいいのかすら判らない。思考の混乱状態を指すと思います。これは、先の見える苦労と違って、非常に辛いです。五里夢中の状態が長く続けば、自我すらも壊しかねません。

人は何故悩むのか?

この問いに、明確な答えは無いかもしれないけど、ただ一つ言えるのは他人がいるからだと思います。人間は自我の境界を肉体という単位で区切り、地球上に存在する生物であり、常に他人と比較し、比較されることで自己を保つ脆弱な精神の生き物です。自分と同じ固体は存在しないし、全く同じ思考の人も存在しません。そこから生まれるストレスこそ、『悩み』なのかなって思います。

じゃあ、一人になったら悩みは無いのか?

って疑問にはNoです。人は一人になったら生きられない存在だからです。誰かがそばに居る、誰かが居るってだけで、人は安心感を覚えます。これは、前述したことと矛盾しますが、この矛盾を心に持ってるのが、人間なんだって思います。

人は成長する過程で、人との向き合い方や、付き合い方、距離のとり方を学びます。そのこは多くの『悩み』が付きまといます。この『悩み』を解決したとき、そこにはやらなければならない課題が生まれます。この課題をクリアする過程で『苦労』が発生するため、昔から言う『若いうちの苦労は買ってでもしろ』という事に繋がるのかなって思います。

また、『悩み』を抱えた時は、自分が何をするべきか、どんな結果を望むのかって事に着眼し、その結果を得るための方法を考えることで、おおよその方向が見えてくると思います。方向が見えたら文字として書き記すなり、誰かに相談するなりして解決を目指すのが、一番の早道かなって思います。次に待つ苦労を如何に早く乗り越えるかは、この悩みを如何に早く解決するかだと思います。考えが堂々巡りを繰り返したら、誰かに話を聞いてもらう。それだけでも、大きく違うと思います。

『悩み』と『苦労』は、全くの別物ですが、関係してる部分も多いと思います。まぁ苦労が多いことが悩みだって人も居ますが、その悩みって、苦労を片付ける自己努力で、克服できるのかなって思います。
苦労には終わりがありますので、一つ一つ確実に片付けていくことが大事だし、苦労が一つ片付いたら、自分で自分にご褒美を上げる事もお忘れなく。苦労をした自分は、その苦労の量だけ傷ついてると思います。その傷を癒すためには、自分で心がけて自分の心をケアする必要があります。一気に片付けようと、急ぐのはいいですが、心をケアしないと、気づいた時は修復できないくらいボロボロって事もあります。もし、ボロボロになってしまったら、一旦立ち止まり、自分の傷を癒すことが必要です。以前にも書きましたが、止まってもいいのです。傷が癒えたらまた歩き出せば!
そして、自分へのご褒美は、次の苦労を乗り切る糧となり、目標となるでしょう。
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by naka50ne | 2005-02-28 15:32 | 日常

市町村合併

政府の打ち出した、地方分権を進めるための方策。それに伴う平成の大合併は、各地で大きな波紋を起こしている。そもそも、今回の大合併はなぜ必要なのかという所に立ち戻ると、どの市町村も単独では予算の減額に耐えられないからという、後ろ向きな考えである事が多い。中には、さいたま市のように、政令指定都市化を狙い合併した例もあるが、ほとんどが、予算のみを軸に動いているのが寂しい現実である。

この、大合併により誕生した大きな市は、そこに住む住民だけでなく、出身地を紹介する場合に、非常に困る事が多い。さきほど例に挙げたさいたま市の場合、浦和・大宮・予野などが合併した為、非常に広大な地域が全てさいたま市となってしまった。そうなると、困るのは、県外からやってきた人です。幹線道路の標識は、すべて「さいたま市」という表記になってしまい、従来は「左折が大宮で右折が浦和」となった交差点が、右も左もさいたま市となってしまい、どちらへ進んでいいのか迷います。
また、住んでる所を聞かれても「さいたま市」ですって答えると、あまりに広範囲で判らないんですね!言わば、都内に住んでる人同士で「どこに住んでるの?」って聞いたとき、「23区だよ」って答えるような感覚です。もう一度聞きなおさないと判らないんですよね!私なんか未だに、
 俺 :「どこに住んでるの?」
 相手:「さいたま市です」
 俺 :「え~と、旧大宮の方?」
 相手:「いいえ、旧浦和の方」
なんていう会話になっちゃいます。
これは、さいたま市に限った問題ではなく、私の住んでる群馬県でも既に起きています。既に前橋市、伊勢崎市、沼田市が、それぞれの地域と合併し、来月には太田市も合併する予定です。私の住んでる前橋市も、前橋市・大胡町・宮城村・粕川村などが一挙に合併した為、未だに旧地名で言わないと、どの辺だか判りません。
まぁ、新地名がまだなじむ前だから、こうに感じるだけかもしれませんが、なんか違和感を覚えます。

地名について考えると、その土地に昔からある地名ってのは、やはり無くすべきではないと思います。そいうのは、その地名こそ、そこの歴史を物語る事だかだって思います。郷土史を紐解く時、その地域の呼び名は何処かに残っていて欲しいものだと思います。私が以前住んでいた、伊勢崎市は、昔は多くの町村が合併して出来た市という性格上、旧地名は小学校名及び学区名として、その名が残っています。そのため、今でも伊勢崎の話をするときは、小学校の学区名を出す事で、「あぁあのへんか!」って直ぐに判ります。
しかし、県内を見渡すと時代の流れか、そういった小学校も第○小学校なんていう、単に数字が振られただけの小学校に変わってしまってる地域が、増えています。これでは、郷土に興味を持たなくて、当然なのかなって思います。
自分の通う学校名が、○○小学校となっていた時、その○○の由来に興味を持てば、郷土史を学ぶ良いチャンスになると思います。郷土の歴史を知る上で、旧地名は忘れてはいけない名前だと思います。私は歴史が好きですが、全ては郷土史から始まっています。地元を知り、その歴史を知り、その繋がりを知ることで、遠い昔の歴史に思いをはせるロマンが、生まれるのかなって思います。

平成の大合併が、成功するためには、この地名選考も安易にしない方が良いのかなって思います。それが、合併を成功させる一つのキーかもしれません。
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by naka50ne | 2005-02-27 22:53 | 日常

最近

メルマガの購読や読書では、飽き足らなくなってきた気がします。何かやってみたいって気持ちが、かなり強くなっています。今でも実践できる所とか、ちょこちょこと試しているんですが、どうしても自分のプロジェクト内では、スケールが小さい。もっと広くって思っても、自分の影響力では、まだまだ無理って感じがあって、少し悶々としています。

まぁ冷静になって考えれば、今の自分にはまだ何も無い。広い人脈を持つわけでもなく、技術力が抜きに出て高いという訳でもなく、ただ漠然とした夢を持っているだけ。この殻を飛び出すには、どこかに一点集中しないとダメなんだろうなぁって思います。ある意味、今の俺は『なんでも屋』広く浅く、多方面を知ってるがゆえに、橋渡し役や便利なインデックスライブラリと化している。
今の世の中は、何でも出来るゼネラリストは要求されてない。その道のスペシャリストが求められてるんだと思います。

自分が本当に得意な分野は何か、今期中にそれを見つけて、次の仕事に生かそうと思います。今が試練の時なのかなって、感じています。この試練を乗り越えないと、次のステージは見えてこないですからね!
よっしゃ、がんばるぞ!
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by naka50ne | 2005-02-23 19:54 | 日常

深刻な環境汚染

今日は、群馬の山奥にある親戚の家に、米の買出しに行ってきました。雪深い山奥なので、俺の車でどこまで行けるか心配してましたが、今朝からの晴天&気温上昇により道の雪は、ほとんど解けており、難なく行けました。

そこで、親戚の伯父さんと話をしていたのですが、今の環境汚染の酷さを物語る話を聞きました。
伯父さんは、神主をしている傍ら、地元猟友会に所属するハンターでもあるのですが、昨今は冬の山へ行くのに欠かせないのが水だという事です。俺は「なんで水がいるんですか?雪とか食えるじゃないですか?」って聞いたところ、「昔は雪が食えたんさ!お前が子供の頃までは、狩りへ行って喉が渇けば雪を舐めれば済んだんさ。でも今はダメだ、うわっかわ(上側)をどかしても、中の雪を見ると黒い異物が入ってるんさ。今はいろんな物を燃やすから空気が汚れててな、雪もツララも汚くて食えたもんじゃないよ。この辺でこれだから、街の方はもっと酷いだんべ。」って答えが返ってきました。

俺は20年くらい前に、田舎暮らしをしてた時期がありますが、その頃の子供は、雪遊びをしながら、喉が渇くとその辺の雪を上側の部分だけはらい、食べるってのが結構普通だったんです。雪って基本的には氷ですから、よほど汚れてない限り大丈夫だったんですね!また、農家の小屋の前に出来るツララも、上と下を割ると食べられました。水は純水の部分から先に凍るので、ツララって意外と綺麗なんです。学校へ行きながら途中でツララを折って食べながら行くってのは、毎日の日課だった程です。

あれから20年、環境は大きく変わったようです。ダイオキシン問題や大気汚染の問題は、都市部だけの問題ではなく、群馬の山奥でも感じられるほど深刻になっているようです。工場や車から出される排ガスや、ゴミ処理施設や家庭のごみ焼却などで出される煙、世界各地で起こる紛争により巻き上げられる爆破のダスト、その他もろもろの人工的に舞い上げられてしまったダストは、地球上のありとあらゆる所に被害が出ているように思います。
昨今問題になっている、ユキヒラダケなど山菜を食べた事による中毒症状も、このような環境汚染によって汚れてしまった土壌で育った為に、元来あるはずのない毒素を含んでしまったのではないでしょうか?
映画『風の谷のナウシカ』ではないですが、山菜を含む森の植物は、人間が汚してしまった土壌を浄化する為に、自らが毒となっているのかもしれません。

今まで、他人事だと思っていた環境破壊ですが、もう身近な問題なんだなって改めて感じました。今の自分に何が出来るのか、それをもう一度考えたいと思います。
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by naka50ne | 2005-02-20 23:10 | 日常

誕生日に思うこと

子供の頃の誕生日って、本当に嬉しかったなぁって思います。1年1年歳をとっていくことが、凄く嬉しくて、早く大人になりたいって思ったものです。そして迎えた20歳の誕生日。自分が子供の頃憧れた20歳。大人って認められる年齢。正直実感は無かったですね。すでに成人式は終わってたけど、何も感動は無かったし、大人だって言われても、まだ働いてるわけでもなく、親のすねかじりをしてる学生だったし、全然実感としてわきませんでした。それよりも、「彼女も無しにいったい俺は何してるの?」って不安の方が大きかったような気がします。
この20歳を境にして、誕生日の捉え方がだんだん変ったように思います。1年1年と歳を取っていくのが、だんだん嫌になっていきました。もっと若くいたい、もっと若くなりたいって、本気で思うようになりました。大きな転機は25歳と26歳でした。25歳までの俺は、徹夜とか全然平気だったし、2徹3徹なんて普通にしてて、それでも一晩寝れば体が回復しましたが、26歳になってからは、徹夜をした際の体の疲れが、抜けづらくなっていきました。この傾向は歳を取るにつれて大きくなっていきました。
そして迎えた一昨年の30歳の誕生日…今になって考えるとアホなんだけど、前日の23:59まで「俺は29だ!」って言い張ってましたね!なんか自分が30代を迎える実感がありませんでした。子供の頃の感覚では、30歳といえばもう「オジサン」でした。まぁ実際親戚の子供なんかには「おじちゃん!」って呼ばれちゃいますが、まだ実感が無かったし、まだまだ若いつもりでいました。でも、変実として突きつけられた30歳という年齢は、ある意味自分の中の『自己の意識変革』となって現れたような気がします。

そして、1年が過ぎました。あれだけ嫌がっていた30代も、なってしまえばそんなに悪くないかなって思えるようになりました。正直、体力では若い人に負けます。頭の柔軟性も若い頃ほど回りません。でも、意識改革により、グローバルな知識の吸収が出来るようになったと思うし、周りが見えるようになったように思います。いろんな失敗はありましたが、本当の意味で大人になったのって、俺の場合30歳からなのかもしれません。

人生50年と言ってた頃は、15歳になれば元服し、成人となりました。近代に入り成人は20歳となってからも、平均寿命が60年の頃の20歳と、現代の平均寿命80年の20歳では、その考え方が大きく違います。逆に60歳の人も、大きく変っています。人は環境によって変る典型だと思いますが、制度だけは変らないんですよね。この辺は不思議に思います。

体は大きくなり、心が幼くなったと言われる現代の若者ですが、これって、まだまだ伝えるべきことを伝えきらぬまま定年という壁で、老人を働く現場から追い出した事が、原因の一つにあるように思います。人のあるべき姿や、道徳といった部分は、我々若い世代が言っても、経験が少ない分重みに欠けます。熟練し人生を知り尽くした先輩方の話は、本当に重く耳を傾けたくなるように思います。
家庭も、高度経済成長以降は核家族化が進み、祖父祖母と交わる機会の減った子供たち。一人暮らしや、会話の無い世界で急速に増える痴呆症の老人。これって因果関係があるように思います。『老いては子に従え』と言いますが『亀の甲より年の功』とも言います。孫と楽しく過ごしている老人が何でボケるでしょうか?孫に道徳を教えてる老人が痴呆になりますか?絶対にならないとは思いません。中には病的な物もあるでしょうから。でも、痴呆になる人は、絶対に少なくなると思います。家の実権は若い世代に譲っても、家長として心を導くのは、その家の老人の仕事だと思います。その心とは、若い世代よりさらに若い、子供たちの教育だと思います。精神鍛錬や趣向を決定付けるのは、幼少期の環境だと思います。祖父や祖母から目一杯の愛情を注がれた子供は、やがて大人になる過程で、祖父や祖母との死別という経験をします。その悲しみを超えた時、しっかりとした精神的自立が出来る、精神力が身に付くのかなって思います。もちろん、親の愛情や躾も重要なのは言うまでもありません。

日本の社会は今病んでいます。その原因は、日本が古来から守ってきた家族制度の崩壊にあるような気がします。老人を大事にするのではなく、もっと活力を与えられるような社会が、理想なんじゃないかって思います。
自己の反省も込めて思ったことでした。
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by naka50ne | 2005-02-17 15:18 | 日常

自分で思った事を、自分の言葉で綴っていきたいと思います
by naka50ne
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