佐倉爆心追う、の気ままな気持ち

カテゴリ:日常( 87 )

残念な事と面白い事

今日は、義妹が退院する日でした。身内では俺しか空いてる人間がいなかったので、車で都内の大学病院まで行って来ました。
最初は手荷物一つで入院した義妹も、1ヶ月の入院生活の中で、あれやこれやと運んでもらった荷物や、頂いたりした物が山になってました。さすがに量が多く、車まで一度では運べないので、荷物を載せるトレイを借りに、ナースセンターへ行きました。「すみません、今日退院する○○ですが、退院荷物を運びたいので、トレイを貸して頂けませんか?」ナースを捕まえて、そんな風に切り出したところ、ナースは「こちらのトレイは、貸し出せないんです。以前に壊してしまった方がいましてね。なので、休日玄関にショッピングカートがありますので、そちらをお使いください。」という返答でした。
しょうがないので、義妹の所へ一旦下までショッピングカートを取り行く旨を伝えに病室へ戻ると、先ほどのナースが飛んでいて「下まで行かれるのなら、こちらのトレイに、軽い物を載せて使ってもらっていいですよ。で、シュッピングカートを持ってくる時に、お父さんが一緒に持って上がってもらえれば構いませんよ。」

・・・一瞬の間があった後、義妹は俺の方を見てニヤニヤしています。ちょっとまて、いくらなんでも『お父さん』はないだろう!義妹は現在27歳。まだ結婚もしてないので、歳の割には若く見えます。それにしたって、『お父さん』って・・・つまり俺は、40代後半~50代に見えるって事ですか?_| ̄|○ かなり、凹みましたよ!義妹は面白がって、車の中ではずっと『お父さん』とか『パパ』とか言い出すし、もうふざけんなって感じでしたね!
まぁ、確かに老け顔ですよ、太ってて貫禄ありますよ、無精ひげも生えてましたよ、でも・・・お父さんは、ないっすよね?_| ̄|○

まぁ、すったもんだしながらも、無事退院しまして、義妹の桜が見たいというリクエストに答えて、最初は上野に向かったのですが、道路からではほとんど見えなかったので、急遽、隅田川まで脚を伸ばして見ながら帰ってきました。

帰ってきた後、義妹の家の近くにある、怪しい系の物が売ってる雑貨屋へ行ったところ、面白いジュースを発見しました。

その1:『目玉のおやじ汁』と『ねずみ男汁
b0068212_23131698.jpg目玉の親父の方は、ゆず湯に浸かってると言う事で、ゆず果汁入り。ねずみ男は風呂に入ってないから不潔で酸っぱいと言う事で、夏みかん&はっさく果汁入り。どっちも飲むのに勇気が要りますw

その2:『ヤッターマンドリンク』と『スカポンタンドリンク』
b0068212_23134596.jpgヤッターマンの方は、なぜかマンゴー味で、ドロンジョ様の方は、温州みかん味となってますが、こんな所でもはりあってるとは驚きです。でも今の子供は、悪役のほうに人気が集まったこの番組を知らないよなぁ!ちなみにスカポンタンとは、ドロンジョ様が、ボヤッキーとトンズラーを叱る時の決り文句です。

番外編:さぁ、お飲みなさい。
b0068212_2314276.jpgDAKARAのキャラクターである、小便小僧が、自分のイチモツから飲み物をついてくれると言う、画期的だが、絶対に使いたくない(特に透明なリンゴジュース(昔の銭湯で売ってた系の)は絶対不可です!)品物でした。まぁ、パーティーを盛り上げるアイテムとしては、最高かもしれませんがw



ってな感じで、色々あった一日でした。
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by naka50ne | 2005-04-09 23:18 | 日常

ネゴシエーション失敗

昨日は予想していた、上司に関しては特に問題がなく、天然だけど楽しくやれるかなって感じだったのですが、思わぬところで、大きな問題が発生してしまいました。
私のいる業界では、
元受企業が、仕事を下請け、孫受けに出すというのは慣例としてよくあります。今回も私は、元受企業の協力会社(下請け)の社員として、このプロジェクトに参画するはずでした。しかし、通常はお客様に変な誤解を与えないようにと、元受企業が手を回し、あたかも自社の社員であるように偽装するということをします。今回は、私の参画が急遽決まったという事もあり、名刺等を用意できないと言うことで、そのまま協力会社として紹介し、仕事に入る予定でした。自社の社長も心配し、本当に大丈夫なのかと言うことを、最後まで元受企業のマネージャー確認していましたが、先方は「大丈夫です」の一点張り。私自身も心配だったので、待ち合わせ場所で顔を合わせた際も、大丈夫なのか確認したところ、「大丈夫です」という返答でした。

慣習とは異なるが、そこまで言われれば信用します。そして、お客様との顔合わせで、自社の名刺で名刺交換をしましたが、どうもお客様の雲行きが怪しい様子。元受企業のマネージャーさんが呼ばれ、守秘義務契約の項に、第三者委託はしないとなっていたと思いますが、どうなってるんですか?という、厳しい指摘がありました。慌てたのはマネージャーです。すぐに、お客様の代表者と打ち合わせを持ち、その後で私の会社の社長と話をしたのですが、すべては後の祭りです。
私は、客先で作業する事が出来なくなり、自社へ戻されました。社長は、「あれほど何度も確認して、大丈夫というから行かせたのに、行ったら先方の手違いで戻される。コッチの損失は計り知れない!」と、元受企業に対して、カンカンに怒っています。先方はもう一度掛け合ってみると言ってますが、どうなるかは判りません。

今回の件は、マネージャーのネゴシエーション不足と、契約書の精査を怠った結果でした。退職の時もそうでしたが、自分の知らない所で起きてしまってる問題に対して、あまりにも無力であることが、歯がゆく思います。それと同時に、ネゴシエーションの重要性を痛感しました。

私自身は、どうすることもできず、自社内での作業となりました。今は別のプロジェクトのお手伝いをしてますが、本来やるべきプロジェクトは、自分の今後がかかっていただけに、そのチャンスを全て奪われたような感じでやるせないです。
早く気分を入れ替えて、次のチャンスに賭けたいと思います。
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by naka50ne | 2005-04-08 11:09 | 日常

期待と不安

今日、内示があり明日からの作業場所と、そこで組むメンバが知らされました。
Topをまとめるのは、元受会社の課長補佐の方で、女性だと言う話でした。歳は自分より1つ2つ上の様ですが、若いにもかかわらず、そこまでの役職を持っている以上、それなりに仕事は出来るのかなと思い、以前にその方と仕事をした事のあるメンバに、その人の様子を聞いてみました。

「○○さんって、どんな人なんでしょうね?」
私のこの問いに、みんなが口を揃えて「酷い人です。」と言うではないですか・・・メッチャ不安になりましたね。良く話を聞いてみると、受入れ検査をせずに客先へ提出してしまい、問題発生時の責任を押し付けられたとか、こちらが言った話を聞いていないとか、忙しいを口実に仕事をしないとか、まぁ出るわ出るわ酷い言われ様です。
でも、不思議に思ったのが、ここは良い所だって話が、一つも出てこないんですよね。ここで、自分は一つの仮説を立ててみました。ウチのメンバと、元受会社の人との意思疎通が上手く行っていない為、トラブルが発生し、その責任の一端が、元受会社側にあり、それが元で全てをマイナスで見てしまっているのではないかと。
そうに考えると、メンバの言っている部分って、あくまでこちら側の視線でしか考えてないんですよね。先方の都合や考え方が不明確な部分が多いし、人物像としては若干きつめの人だとは思いますが、コミュニケーションを密にすることで、ほとんどの部分は解決出来そうな気がします。少なくとも、その若さで課長補佐になっただけの技量は、どこかにあると考えています。それを掴んでみたいと感じました。

社長に呼ばれ、今回の要件定義で掘り起こした案件の、約半数を持ってこれるように頑張ってくれと言われました。ここが、俺の正念場です。協力会社からベテランの人が応援してくれるようなので、その人と連絡を密にしながら、かつプロジェクトのメンバとも上手くコミュニケーションを図りながら、優位に話が進むように画策してみようと思います。

明日は、メンバとの初の顔合わせ、どんな人なのかは会ってからのお楽しみです。初対面で、この人ならと思う人だといいなぁっていますが・・・世の中そんなに甘くないかな(笑)
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by naka50ne | 2005-04-06 22:55 | 日常

明日からの課題

明日からの自分にこれからかされる課題は、これまでの社会人生活の中で、もっとも過酷だと思う。即戦力としての期待が大きい分、科される仕事も大きく、結果を出さなくてはならない。それを思うと、すごいプレッシャーなのですが、なぜか自分の中で、そのプレッシャーを楽しんでる自分がいるのが不思議です。

これからするべきことは
 1. 客先との早めの友好関係構築
 2. 既存業務の習得
 3. 新案件の掘り出し
 4. 新案件の受注
 5. プロジェクトメンバのまとめ
 6. ブリッジSEとして海外とのパイプ作り
 7. 後輩の育成
の7つが待っています。もしかしたら、これ以上のミッションが振られるかもしれない。でも、これをこなして、3ヶ月先には成功としての利益を会社にもたらせなければ、俺はこの会社での先は無いものと考えています。
それ以外にも、自身に課したものとして、良い人脈発掘もありますので、益々仕事量は増えていきます。昔の自分なら、間違えなく逃げ出しているか、回りに愚痴るだけ愚痴って、失敗させるだろうなぁって思います。でも、もう逃げる場所はなくなりました。全て新しい環境で、自分に逃げ道はありません。背水の陣とはこういう事なんだって思います。引くことと失敗する事は、自分がなくなることを意味します。

自分で選んだ道が、吉と出るか凶と出るかは、自分の心構え一つだと思っています。もちろん、自分ではどうにもならない事もあるでしょう。それでも、自分で何が出来るかを考え、ギリギリまで頑張る事で、先が開けるような気がします。
もがき苦しんだ先に、日の光があると信じて、頑張ろうと思います。
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by naka50ne | 2005-04-03 22:16 | 日常

初通勤

今度の会社は、新幹線通勤となります。朝は今までより少し早くなるけど、その分車内で本が読めるからイイかなって思ってましたが、金曜日に実際の乗ったら、現実は違う事に気が付きました。何が違うって、ただ座ってるだけなので、眠気が酷いのです。今までは多少眠くても、運転している緊張感があったので、酷い眠気に襲われる事は無く、会社までの道中で目は完璧に覚めていました。それが新幹線通勤の場合は、眠気を抑えるのが辛い、そこで本を読もうものなら、確実に寝ます(初日は少し寝ました)。
初日の帰りはかなりキツかったです。東京駅について、新幹線ホームへ上がった時、妙に空いてる列があったので、「ラッキー」って思って並びました。既にイヤホンを突っ込んでいるので、場内放送はほとんど聞こえません。で、新幹線が入ってきたのをみたら…『喫煙車』…俺は、煙草を吸いません。っていうか、引継ぎで喉が枯れ、風邪気味の俺には、あの環境は地獄でした。四方八方で煙草を吸われ、ずっと咳き込みっぱなしでした。涙が出そうでしたよ。来週からは気をつけようと思います。

会社へ行って驚いたのは、雑居ビルの管理に驚きました。これまでは、1フロア貸切だったり、自社ビルだったりと言う所でしか勤務経験がなかったため、共同場の管理について、すごくシビアなのが驚きました。まぁ、みんなで使う場所だけにしょうがないですね!

b0068212_2315264.jpgそれから、落ち着いていた花粉症が再燃しました。東京は花粉が酷いです。群馬とは雲泥の差です。まぁ土がない分吸収されないから、その分累積されてるんでしょうねぇ!もうマスクが手放せません。っていうか、目が弱いのでグラサンを標準でかけてますから、どう見ても怪しい人になってます。このままじゃ、銀行はおろかコンビニも入れない可能性大です。
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by naka50ne | 2005-04-02 23:17 | 日常

学歴は必要か?

日本テレビ系で放映されている『ジェネジャン!!SP』で、学歴が必要かどうかという面白い論議がされていたので、自分なりの意見を書いてみたいと思います。

俺自身の答えは、学歴が必要かどうかと言えば、学歴は必要だと思います。
単純に学歴があるかないかで、大きく変わってくるのは、その持っている人脈の広さだと思います。例えば中学までしか出ていない人は、学生時代に出来る友達は、一般公立中学であれば、同一市内までが普通だと思います。それは、一芸に秀でて、全国大会に出れるような人は除きます。ほとんどの生徒は、市内までの人脈しか持ちません。これが、高校まで出た人であれば、県立高校であれば同一県内までは、友達としての人脈が広がります。これが大学まで行くと、友達という人脈の範囲は全国まで広がります。
また、この人脈はその数字で考えると良く判ると思います。
同一中学の卒業生が200人
同一高校の卒業生が500人
同一大学の卒業生が1000人
とした場合に、中卒では200人の人脈ですが、高卒だと200+500で700人の人脈、これが大卒だと、200+500+1000で1700人の人脈が生まれます。これは極論かもしれませんが、学歴が上がれば上がっただけ、人脈が多くなっていくのは判ると思います。
社会に出てから、力となるのは人脈です。同じ中学を出た、同じ高校を出た、同じ大学を出たという話題は、人脈を広げる時の、一つの足がかりになります。その足がかりに出来る物を多く持つ事は、非常に有利だと思います。学歴のレベルも、レベルが高ければ高いだけ、優秀な人に巡り会える可能性も高く、より高いレベルを得ようとするのは当然なのかもしれません。

もちろん、早くに社会に出たほうが上になることもあります。それは、社会人としてのスキルです。社会で必要させるスキルを身に付けるのは、絶対に実務を積む事が必要です。それには、早くから社会に出てる人の方が上だと思います。でも、社会構造的にそう言った人たちが、上に立つ事が出来ないのはなぜか?そこの壁が人脈なんだと思います。社会に出てからすぐに人脈の出来る人って、やはり一握りの人だと思います。そこで生きるのは、学生時代の人脈になるのかなって思います。

学歴が必要ないって人の言い分は、学歴の高い人ほど使えない、学歴を得る為に勉強しかしてないから常識が無い、学歴を鼻にかけてるだけで何も出来ない、って感じで学歴を生かせない、または学歴を正確に捉えられない人がいるから、それだったら必要ない。それよりも『夢」や『希望』を追って生きたほうが良いって事じゃないですかね。

これに関しては、そもそもの間違えが親の教育にあります。学歴を得ようとして親が詰め込むのが問題です。勉強を教えるのは学校の仕事であり、本人のやる気の問題です。親がするべきは、躾と勉強に対する動機付けです。これを履き違えなければ、学歴は必要なものだと思います。
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by naka50ne | 2005-03-23 23:25 | 日常

地下鉄サリン事件から10年

<地下鉄サリン事件>東京メトロ6駅で追悼行事 : 社会ニュース

いまなお後遺症で苦しむ人や、トラウマから解放されない人など、人々の心に深い爪あとを残したあの忌まわしい事件から、今日でちょうど10年を迎えた。
当時、カルト教団として様々な疑惑を持たれていたオウム真理教(現アレフ)が、警察の強制捜査を逃れる為に、起こした集団テロ。この集団テロは、世界中に急速に広まっていた地下鉄網に、戦慄の衝撃を与えた。アメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどは、相次いで『化学兵器による地下鉄内襲撃に対する対策』を発表したが、あまりに遅すぎる対応となってしまった。国内でも、不信物を安易に置かせない措置として、ゴミ箱が一斉撤去され、警察や警備員、鉄道職員などの見回りが強化されました。

また、このテロのもたらした恐ろしさには、サリンという非人道的で恐ろしい化学兵器でも、少しばかり化学をかじった事の有る人間を集めれば、低コストで秘密裏に作成可能である事を、世界中に知らしめた事であった。これは、世界中に広がるテロ集団に対して、化学兵器による武装が、どれだけ有効かと言う手本となってしまった。確かに一般の化学書を開けば、サリンの化学式はおろか、生成に必要な物質まで書かれている。直接サリン製造へ繋がる物質は、入手困難だとしても、その物質を作る物質が手には入れは同じ事である。オウム真理教も、そのような考えの元、サリンの前段階となる物質の生成を行い、それを使ってサリンを製造した。

被害の規模が余りにも多く、いまなお国による保証は行われていない。オウム心理教も事件後に破産宣告を受けているため、法律的には保証義務が無くなっている。残るは個人だが、組織の長としての麻原祥晃こと松本千寿男の裁判は、やっと東京地裁による1審が終ったばかり、今後、東京高裁、最高裁と審議が進むわけだが、最高裁判決まではまだ20年近くかかることが予想される。それを待っていたのでは、余りにも遅すぎると思うのは、私だけじゃないはずだ。これは、犯罪者に対する審議をするなと言ってるのではない。審議は必要だし、当然の権利だと思うけど、事の重大性や被害状況の大きさを鑑みて、ある程度の保証は国が肩代わりして行い、後に加害者側に請求をするというのが、筋じゃないかと思います。また、現在の破産法では、犯罪加害者になった場合の保証金支払い義務も、放棄するようになっているが、これはおかしいと思う。破産により全ての財を失った後でも、犯罪被害者に対する保証は継続するべきだと思う。最低限の国の保障する生活以上のお金は、全て救済に当てられるべきと考えます。

俺自身は、直接的に被害を受けたわけではないですが、あの長い日の記憶は、今でも鮮明に記憶にあります。第三者の俺がその程度なんだから、被害に合われた方や、被害を免れながらもトラウマを抱えた人にとっては、一生忘れる事の出来ない事件だと思います。
二度とこのような事件がおきて欲しくないし、起こして欲しくない。
亡くなられた12人のご冥福を祈るとともに、被害者および被害者家族の一日も早い回復をお祈りします。
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by naka50ne | 2005-03-20 18:18 | 日常

お世話になった先生

自分がこれまでにお世話になった先生方を列挙して見たいと思います。ここに載せきれない人も沢山いるのですが、書き出してみると、本当にいろんな先生にお世話になってるなぁって思います。

担任の先生方

幼稚園:S條先生
とても綺麗な先生で、園児の面倒を優しく見てくれました。山口百恵に似た雰囲気を持ってる人で、ひそかに好きだった記憶があります。

小1:K暮先生
厳格なおじいちゃん先生でした。人を褒めるって事をしっかりやってくれる先生で、国語の暗記や、ハーモニカの演奏で、トップ5に入ると、必ず牛乳瓶の蓋で作った金メダルや、銀メダルをくれました。それが欲しくて頑張った記憶があります。でも、叱る時はしっかりと叱る先生で、理由も無く宿題を忘れたり、掃除をサボったりすると、かならずゲンコツが落ちました。涙が出るくらい痛いんだけど、自分が悪い事したってのが判ったし、逆に次は褒めてもらうぞってやる気に繋がっていたように思います。厳しいけど優しい先生。そんな感じでした。

小2:N井先生
若い女性の先生でしたが、すごく怖い先生でした。手にはいつも1メートル定規を持っており、クラスがうるさいと、教卓をバンバンってすごい音をさせて殴るので、めっちゃ怖かったです。しかし、問題を起した俺を家に送ってくれたりする、優しい面も持ってて、悪い印象はありませんでした。また、何より俺の書く字を見て、俺の乱視に気づいてくれた先生でもあり、すぐに大学の先生からの紹介状を出してくれて、乱視の早期治療を促してくれた先生でした。今ではすごく感謝しています。

小3:Y和先生
マイペースなおばあちゃん先生でした。これといって大きな思いではありませんが、クラスの暴れん坊が、キレて騒ぎまくってるのを、廊下の柱に縛り付けて、落ち着かせていたのが印象的でした。

小4:K泉先生
最悪のおばあちゃん先生でした。転校生だった俺を、1年間とことん苛めぬいた先生です。生活習慣の違いや、本好きで内向的って部分を、捉えて揚げ足を取るように苛めぬかれました。苛められた理由は今でもよく判りませんが、周りの話を総合すると、田舎に転校してきた俺は、周囲の子供と比べて垢抜けており、それが不良というように映ったようです。事実、「お前みたいな子を不良って言うんだ」とか「将来ロクな人間にならない」とか「馬鹿につける薬はない」って事を、年中言われてました。最低最悪の先生だったって言う記憶しかありません。

小5、6:N岸先生
活発なお姉さん先生でした。出っ歯な表情が印象的でしたが、基本的には自由放任主義で、児童のやりたいと言う事は、進んで体験させてくれました。理科の実験や野外学習にも積極的で、本当に飽きの来ない授業をしてくれました。放任主義ながら、締める所はキッチリ締めてくれるので、クラスのまとまりが、すごく良かったです。

中1:S田先生
長いものには巻かれろ、ことなかれ主義で臭い物には蓋をするおばあちゃん先生でした。田舎の小学校から転校してきただけに、思いっきり苛めの標的とされましたが、苛めの現場を見ても、すべてスルーして何も言わずに黙認する先生でした。科目は数学でしたが、生徒が判ったかどうかよりも、単元ノルマを優先させるので、判らない所がどんどん積み残しとなり、塾へ通ってない生徒と、通ってる生徒のレベル差を、みるみる開けてくれた先生でした。まぁ公立なのに県内No.1の進学率を誇る中学だけに、おちこぼれを切捨て秀才を育てる風習が、そうさせたのかもしれませんが…

中2、3:K野先生
ロングロングアゴな男性の先生でした。すごくひょろ長い先生で、身長が約2mあり、足の長さもハンパじゃないくらい長かったです。アゴも異常に長く、アントニオ猪木をひょろっとさせたような、アゴをしていました。クラスをまとめる力は、結構高いものがあり、クラス内のまとまりは全校一良かったです。進路指導で、俺に工業高校を勧め、今の基礎を作ってくれた先生でもあります。また受験テクニックも教えてくれた先生で、「苦手な英語と数学は捨てろ、それよりも得意な理科と社会は、満点取るつもりで行け」という指導をしてくれました。お陰で公立高校入試は、英語2点、数学20点という散々な成績に対して、理科97点、社会88点、国語75点という点数を取る事が出来、なんとか合格することが出来ました。ある意味、大学入試も同じような戦法で受かったので、受験の師と言えるかもしれません。

高校:N島先生
我が道を行くおじいちゃん先生でした。工業高校で共通科の数学を教えていた先生なので、基本的には閑職という事もあり、おっとりしていて腰の重い先生でした。しかし、生徒の行動はなんとか理解しようとしてくれて、他人に迷惑をかけたりしないかぎり、目をつぶってくれる寛大な所がありました。俺らが、教室で麻雀を打っていても、「麻雀は頭の回転を良くするからねぇ!」と言って注意するわけでもなく、普通に見逃してくれました。浪人中もたびたび訪問しては、内申書を書いてもらった恩師です。

大学・大学院:I川教授
ダイナミックで有言実行、優等生よりも一芸に秀でた人間をこよなく愛し、新技術やITに対して深い理解を示した教授でした。丸暗記する奴よりも、誰に聞けば判る、何を見れば判るって奴の方が、社会に出れば優秀なんだ!中卒が高卒に勝てない、高卒が大卒に勝てない、大卒が院卒に勝てないのは当たり前、持ってる人脈の広さが違うんだから!ってのが、教授の持論でした。俺は教授のこういった考えには、すごく共感をしました。確かにその通りだと思ったし、自分が肯定されてる感じがして嬉しかったのです。教授は、社会人としても成功してた人で、某大手電機メーカーの研究所所長を経て、大学教授となった人なので、社会の厳しさや社会で求められる人材に関しては、非常に細やかに判っていたように思います。丸暗記して80点しか取れない人間より、カンニングして100点取れる人間の方が偉いんだ!って平気で言うし、PCのバージョンアップってのはな、本体ごと買い換えなかったら、遅くて使い物にならないんだ!って言ってWin95全盛期にWin3.1&DOS6.2をバリバリ(今現在も)使ってる猛者でした。この教授に出会えた事は、以後の自分にとって、すごくプラスになったように思います。今月で退官予定だから、後で遊びに行ってこようかなぁ!
大学院:M坂教授
退官間近の、のほのんおじいちゃん教授でした。趣味は「茶道」というだけあって、学内に専用の茶室を持ち、お茶の腕前はなかなかでした。基本的にのほほん系なので、講義も楽しく和ませてくれました。俺に建築の基礎を教えてくれたのが、この教授ですが、研究の最後に褒められたのは、「豊富なサンプルから厳選した資料を使ったアンケートは、その量において一見の価値がある。」という事でした。アンケートは、過去の人脈をたどり、中・高・大の学生約3000人からアンケートを集めることに成功しました。集計は大変でしたが、それ以上の喜びを与えてくれました。本当に感謝してる先生です。


担任じゃないのにお世話になった先生方

幼稚園:S川さん
幼稚園の賄い婦さんでしたが、人見知りで困ってる俺を見つけては、優しく声を掛けてくれました。当時の俺にはとてもありがたい存在でした。

小4:校長先生
教室では苛めに合ってしまう為、いつも校庭の隅にある鳥小屋やウサギ小屋の前で、動物と遊んでいたのを、優しく見守ってくれて、時々声を掛けてくれた優しい先生でした。俺の文章力を認めてくれていた先生だったので、コンクール用の作品で学校代表として出す人を決める際、俺と同じクラスの優等生の女の子が争ったらしいのですが、校長先生が俺を推したのに対して、担任が「あの不良より、こっちの生徒の方が優秀だし字が綺麗だからコッチにしましょう」の一言で俺は落選したそうです。よほど悔しかったのか、その夜に俺の親に、電話でその話があったそうです。

中1:M沢先生
体育の先生でした。厳しい事で有名だったのですが、俺が真面目に部活動をしてることを目にかけてくれて、体育の時間はイマイチでも、部活動をしっかりしてれば評価してやるって、面と向って言ってくれた先生でした。とても熱い先生で、鉄拳制裁が日常茶飯事だったのですが、とても愛のある先生でした。一部PTAから暴力教師と言われてしまい、他の学校へ行ってしまったのは寂しい限りです。

中3:S藤先生
学年主任であり、良きアドバイザー的な人でした。担任の先生が結婚する際に、俺たちに何も知らせてなかった所を、情報を漏らしてくれて、結婚式への押しかけが成功したのも、この先生の力が強かったです。美術の先生で、重色の効果については権威だっていう話ですが、書く絵が全て牛の尻なので、みんな陰で「牛の尻」と愛称で呼んでました。

高2:K沢先生
超童顔で、生徒になめられまくって、授業拒否になってしまった先生です。話してみても初々しくて、年上と話してる感じを受けない、弟的な先生でした。科務室では、個人的にポケットコンピュータでのプログラミングを、色々教えてもらいました。今の職業に付いた、基礎はこの先生だったのかもしれないです。

高3:M宮先生
大学受験の恩師です。工業高校で遊びほうけていた人間が、四年制大学へ進学しようなどという無謀な願いを、現実の物になるかもしれないって言う夢を見させてくれた先生です。高3の9月まで、二次方程式は解けない、一次関数も解けない、微分積分ってなんですか?虚数って何よ?ってアホ生徒だった俺。数学の学力レベルなんて、中学1年くらいで止まってますので、さっぱり判らなかったんです。学校のテストならカンニングで済みますが、入試はそういう訳に行きません。俺の学力レベルを見て唖然とした先生は、毎日放課後猛特訓を課しました。基礎の基礎から初める事2ヶ月、なんとか三次方程式と、二次関数まで理解できました。やっと中学卒業~高校一年レベルです。で、始まってしまった推薦入試ですが、評定平均が工業高校で3.0の奴など、受かる訳も無いのですが、受けまくり落ちまくりました。自暴自棄になりながらも勉強を続けたことで、卒業までに高校数Ⅱレベルなら、時間は掛かるけどわかるってレベルまで来ました。そうになるまで、毎日16:00~21:00まで付き合ってくれた先生には、本当に感謝しています。予備校が終わり、大学へ行ってからは数学が得意と言える様になったのは、先生のお陰です。

高3:H井先生
苦手な英語なのに、受験を見据えて評価を上げてくれた恩師です。1年生の時は、やはりというか当然と言うか、赤点を取り捲り、単位を落としました。そんな俺に課題を与えてくれて、単位をくれたとき、俺に「将来どうしたい?」って聞いて来たので、「進学してプログラムを勉強したい」って言ったら、「よし判った。これからは赤点だけは取るなよ」って言ってくれました。その後は、何とか速聴による暗記術を独自で身に付け、赤点だけは取らないようにしたら、2年の時は3の評価、そして3年では4の評価をくれました。先生に「どうして4なんですか?」って聞いたら「頑張ったからだよ」と一言だけ言ってくれました。本当に嬉しかったです。今でも英語は苦手ですが、あの奇跡の評価には感謝しています。

大学:T内教授
俺を学年一買ってくれていた教授でした。工業地理という学会でもニッチな分野の第一人者なのですが、1年の夏に課されたレポートの提出を、誰より早く一番に出した俺のことをすごく買ってくれて、事あるごとに目に掛けてくれました。大学院への進学を進言してくれたのも、この教授のプッシュが大きかったです。なにしろ、うちの親を直接口説き落としてましたから…。大学院まで出てよかったって思えるのは、この教授が大きかったです。

大学、大学院:F橋教授
俺のことを天才と呼んで、可愛がってくれた教授です。工業高校から学校推薦で進学してくる学生が多い中、浪人して受験テクニックを身に付けて入ってきた俺は、大学で行われる数学の授業では、答えの導き出しの速さと、正確さで群を抜いてました。友達のコツコツと問題を解いていく奴を秀才と呼び、俺のことを天才と呼んだ教授は、卒業して大学院進学後もずっと面倒を見てくれました。その時に教わった数学的考え方は、今の業界で非常に役立っています。

大学、大学院:K藤先生
学内のCAD室を管理していた、技術協助員の先生です。俺らCAD室を使って研究していた学生の兄貴分って感じの人で、結構いろんなわがままを聞いてもらいました。一番思い出に残ってるのは、CAD室の設備を使ったAV上映会です。研究室の飲み会が終わり、深夜のCAD室へ行き、先生に120インチプロジェクタを動かしてもらい、その大画面でAV上映をしました。各マシンのサブモニタにも、同様の画面が移る様は、壮観というか圧巻でした。研究室の男どもが一堂に会して行われたAV上映会は、異様な雰囲気と爆笑で終わりました。そんなアホな事を許してくれた先生には、本当に感謝です。

大学院:Mダール先生
俺が始めた建築CADという新分野をサポートするためにやってきた、技術協助員の先生です。ネパール人の人なのですが、先駆者である俺とは、非常に仲良くしてもらいました。自宅にも招いてもらい、非常に色々教えてもらいました。建築関係で判らないことを、バイブルとして教えてくれたことには本当に感謝しています。
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by naka50ne | 2005-03-16 20:40 | 日常

ありがとう さようなら

俺は今期一杯で、今の会社を退職する。一般的に退職といえば、今の会社に対する憎悪を持っていたり、自分の目指した物とは違ったという感じで、会社に対してマイナスのイメージを持つのが、普通だと思う。しかし、俺の気持ちは卒業という気持ちにかなり近い感じがする。
今から6年前に、今の会社に入社した時、社会人のイロハも知らなければ、業界のイロハも良く知らないでいた。ましてや責任や義務など、考えも及ばない次元の話でした。何も判らないまま、単にコンピュータが好き、プログラムが好きって言うだけで踏み込んだソフトウエア業界は、自分の想像を遥かに超えた、過酷で耐え難い業界でした。事実3年目までの間で、同期の半分が挫折し、みんなそれぞれ別の業界へと旅立って行きました。

入社後3年目までは、俺にとって試練の年でした。同期が無難に仕事をこなしていく中、デスマーチを起したプロジェクトの中で、不眠不休の徹夜作業が続き、一度は過労で入院までした事があります。どれも、本をただせば自身の責任感の欠如と、使命感の欠如が問題でした。プロジェクトで起きている問題を、自分の問題として捉えない。思考をすぐに「○○が悪い」と、環境や人のせいにして自身は逃げてしまう。間違いを指摘されても、言い訳の嵐で自分の落ち度を認めない。そんな事だったので、プロジェクトは孤立するし、お客様との折衝が上手く行かず、作業量の増加と納期の短縮が重なり、デスマーチに陥っていました。
それに気が付いたのは、過労で倒れて入院してる時でした。先輩が必死になって火消しをしている様子を見て、自分の小ささと考えの狭さを思い知りました。復帰した4年目以降は、これまでと打って変わってこれまでの失敗経験が糧となり、順調にプロジェクトをこなしました。そして、一昨年に現在のプロジェクトに配属され、初のリーダー経験を積むことが出来ました。
自分を殺して、周りに目をやり、今起こっている問題の本質を考え、自身に出来ることを探る事の重要性は、本当に最近になって判ったように思います。この辺って、社会人なら常識だし、普通は出来なくちゃいけない事なんだろうけど、俺はそこへ行き着くのに6年もの歳月を費やしました。

最初は、給料が安い、待遇が悪い、上司がムカツクなど、会社へは不満ばかりでした。しかし、今となっては、出来損ないの人間を、ここまで育ててくれた今の会社に、本当に感謝しています。今の会社では、本当に色々なことを学びました。プログラム技術はもちろん、社会人としてのイロハや、対人交渉術に教育方法など、数多くのプロジェクトを経験したことによる、大きな資産が自分の中に生まれました。それがあったからこそ、次の会社が見つかったと思っています。
次の会社では、いきなり主任待遇になり、3ヵ月後には課長の椅子が用意されています。会社は変わるけど、同期の中では一番の出世頭になります。その期待に背かない様、精進し、今の会社で覚えたことを土台に、更に新しいことを吸収したいと思います。

社会に出てちょうど6年、学校で言えば小学校を卒業する所です。新しい会社では、3年頑張ってみるつもりです。その間にどれだけの人脈が作れるか、そして作った人脈を基に、更なる飛躍をしたいなぁって思います。

卒業の歌で、俺が一番心に残る歌は、みんなのうたでやっていた『ありがとう さようなら』です。やわらかい歌が心に沁みます。


ありがとう さようなら
 1.
  ありがとう さようなら 友達
  ひとつずつの笑顔 はずむ声
  夏のひざしにも 冬の空の下でも
  みんなまぶしく輝いてた
  ありがとう さようなら 友達
 2.
  ありがとう さようなら 教室
  走るようにすぎた 楽しい日
  思い出の傷が 残るあの机に
  だれが今度は座るんだろう
  ありがとう さようなら 教室
 3.
  ありがとう さようなら 先生
  しかられたことさえ あたたかい
  新しい風に 夢の翼広げて
  一人一人が飛び立つとき
  ありがとう さようなら 先生

  ありがとう さようなら みんなみんな
  ありがとう さようなら みんな・・・
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by naka50ne | 2005-03-15 17:46 | 日常

なぜ救急車?

救急車有料化を本格検討へ : 政治ニュース

救急車利用の有料化って、『なぜ?』って疑問が多い。ウチは、比較的救急車を呼ぶ回数が多いです。両親共に開頭手術経験者の為、てんかん発作を良く起します。冷や汗が出たり、体が震えるなど、意識のしっかりした痙攣の場合は、そのまま安静にすることで回復しますが、卒倒して意識を失う発作の場合、救急車を呼んでかかりつけの大学病院へ搬送します。ウチから大学病院は車で5分くらいなので、自家用車でも搬送可能なのですが、救急車以外で搬送した場合、夜間休日受付を回り、長い時間待たされてからでないと、処置をしてもらえません。そのため、一刻を争うてんかん発作の場合、救急車を呼ばざるをえないのです。

救急車の出動要請が増えている背景には、こういった医療機関の受入拒否が多いことがあげられると思います。市内の大きな病院では、夜間休日窓口の平均待ち時間は、90分~120分です。インフルエンザ流行時や、寒い時期などは3時間近く待たされることもあります。これでは、辛くてどうにもならない患者はたまりません。それが、救急車で搬送してもらえれば、優先受付と言うことで、待たずに診察を受けることが出来ます。

このようになってしまう背景は、救急施設を持つ病院が極端に少ないことと、休日夜間当番医が周知されていない現実があります。患者の一極集中と、休日担当医の不足、救急車と一般搬送の病院内格差、これらが解決されない限り、今後も救急車出動要請は、増えていくものと思います。

加えて、救急車利用の有料化は、本当に医療を必要とする老人や、重病患者に救急車要請に二の足を踏ませることなり、助かる命が助からなくなる場合の増大に繋がると思います。
救急出動の増加で困っているなら、メスを入れる部分が違うように思います。もし、救急車が増やせないなら、タクシー利用を増進させて利用料の全額補助を行うとか、自家用車による搬送を、救急車と差別をしないなどが有効のはずです。加えて受入病院数の増加と、夜間休日担当医の増加を基本とするべきじゃないかと思います。

安易に、弱者から金を巻き上げるのではなく、制度としておかしな部分や、矛盾する部分の是正をするのが筋だと思います。医療の基本に立ち戻った配慮が検討されることを望みます。
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by naka50ne | 2005-03-14 10:31 | 日常

自分で思った事を、自分の言葉で綴っていきたいと思います
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