佐倉爆心追う、の気ままな気持ち

カテゴリ:ビジネス( 75 )

Broken Windows(壊れた窓)理論

壊れた窓と言っても、ブルー画面になってしまい、OSの再インストールが必要なWindowsパソコンの事ではありません。
アメリカで提唱された、この理論は、『一つの壊れた窓を修理せずに放置しておくと、次第に街全体が荒廃していき、やがて多きな犯罪の温床となる。』というものです。単に、こうに書くと「嘘だぁ」って思うかもしれませんが、日本で言うと、腐ったミカン理論とでも言うと判り易いかも知れません。一つの腐ったミカンをそのまま放置しておくと、他の良いミカンまで腐ってしまうというものです。

この考え方は、自分の日々の生活でも、いろいろな場面で出てきます。例えば、「毎朝ジョギングをするぞ!」と決めて、毎日実行していたしていた人が、たまたま寝坊をしてしまい、「今日は暑くなってしまったから、休みにしよう」と言って休んだとします。すると、同じような状態になったときは、やはり休みますよね!そして、夏のように暑い日には、やはり「暑いから」という理由で休むようになり、秋になる頃には、ジョギングを止めてしまうなんて事になる。

人間は得てして楽な方に走りやすいものです。楽をして生きられれば、これほど楽な事はありません。でも、人は生きるためには努力が必要だし、それを継続させる事が必要なのです。そこを乗り越えて努力をしなくても出来る、つまり習慣になってこそ、初めて自分のものになるのです。

仕事でも、「このくらいなら」とか「まぁいいか」と言う感じで手を抜くと、それが発端となり大きな事故に繋がる事は、三菱ふそうなどの例を挙げるまでも無く、身近に存在しています。手を抜くのではなく、定型化した仕事は他人に委譲するなどで、作業を振る事が必要となります。

自分の心の中にある『Broken Windows』を取り除く事が、自分が成長する上では必要な事だと思います。
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by naka50ne | 2005-08-19 09:51 | ビジネス

自分の器と環境

人にはそれぞれ、自分の許容できる器を持っています。これは大きさに違いはあれど、誰でも持っているものです。その自分の器を、大きくしようと思えばそれなりの苦労とお金が掛かるのは世の常ですが、今ひとつ忘れられてしまうのが、環境です。

環境に対して、自分の器が小さければ、どうしても苦労が絶えないでしょう。言うなれば、プールの水をコップでかき出すようなものですから!逆に、環境に対して大きすぎる器も、弱り者です。下手すればその環境を壊しかねないからです。コップの水をパワーショベルでかき出そうとするようなと言えば判り易いかも知れません。

幕末の長岡藩に、河井継之助という人物がいましたが、彼は戦術や器量などを考えると、おそらく西郷隆盛にも匹敵するほどの傑物と言われていました。弱小の長岡藩が北越戦争で官軍を苦しめたのは、彼の功績が大きかったと言われます。しかし、彼が不幸だったのは、その器量を存分に発揮するには、長岡藩というフィールドが余りに小さかった事です。大きな器量をもってしても、環境が合わなければ、その環境を壊す事になってしまうという、良い例ではないかとおもいます。
逆に、西郷隆盛は恵まれていました。早くから島津斉彬という傑物に見出され、幕末の桧舞台に立つ機会を与えられ、倒幕軍の先頭に立つ事で、その活躍の場を持っていました。そして、国を動かすほどの、大人物として成長したのでした。

人は、自分の器量では、少し足りないくらいの環境が、丁度いいようです。そう言った中では、かならず努力をしますので、自分の器を大きく出来ます。しかし、ある程度の大きさになった所で、一歩上のフィールドを目指さないと、ゆくゆくは、器量が環境を越えてしまい環境を壊すか、器量が成長しないまま止まってしまうかの、いずれかだと思います。
苦労は買ってでもしろといいますが、苦労している間が、華なんだと思います。
苦労が苦労でなくなった時、それが一回り自分が成長した時なんだと思います。
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by naka50ne | 2005-08-11 23:27 | ビジネス

何に打ち込むか?

今、社会問題になりつつあるニート(Not in Employment, Education or Training)ですが、その発生原因を考えると、現在社会の縮図が見えるように思います。
ニートを生み出してしまう最大の問題点は、家庭における子供に対しての教育の欠如ではないかと思います。
ここで言う教育とは、いわゆるお受験に代表されるような、「1+1=2」のような学校教育ではなく、情操教育であったりやる気や忍耐力といった、心の教育を差します。ニートが多く存在する我々の同世代~現在の20代の親に位置する人々は、第二次ベビーブームにより増加した子供の数により、学校社会での学力の競争の影響をモロに受けてきた世代です。一般的に言う団塊の世代という所ですが、その親たちが目指した教育とは、まず第一に他人に負けない学力を身に付けさせ、学校というの競争社会を勝ち抜かせること、そして自分たちが制限された自由を謳歌する事でした。この相反する2つを同時にやってのけたのが、この世代の凄いところですが、一方で置き去りにされた心の教育は、次第に社会の闇として存在するようになりました。

親の教育の中心であった「学校の勉強」や「試験で100点を取る勉強」は、その達成感と共に、恐ろしいほどの無力さを証明してしまいました。実際に社会に出て仕事をしている人なら判ると思いますが、社会に出て必要とされるのは、学校の勉強ではありません。つまり、学生時代は優等生だった人間が、社会に出たとたん劣等生に様変わりしてしまうのです。これに拍車を掛けたのがバブル崩壊でした。
バブルの崩壊以降、日本経済は未曾有の大不況に陥り、企業はリストラという名の首切りと、新人教育を圧迫し落ちこぼれの切捨てを始めました。そういった中で、脱落していく旧優等生たち。学校の勉強は全く役に立たず、コミュニケーション能力や、話術に長けた人間がどんどん出世していく世の中。そんな中で起こってしまった、学校の勉強はいらない、学校での勉強は無意味という風潮は、学生を勉学の場から遠ざけていきました。

そこで、大きな問題となってしまったのが、社会の闇に存在するようになった、心の教育を受けていない人間の増加です。いわゆるアダルトチルドレンなどと呼ばれる、体は大人でも精神的に大人になりきれていない人です。
この、アダルトチルドレンと呼ばれるような人は、自らを落伍者としてさげずみ、自分の存在を認めず、ただ無気力に生きてしまっています。そう言った中で、引き篭もりや鬱病を発生する人もいるし、ニートと呼ばれるような、働かないパラサイト人間を作り出してしまっています。
これらの人が、本当の意味で更生するには、何か一つに打ち込むという面白さを理解させてあげる必要があります。自らが好きな分野で、その分野の第一人者になりたいと願う事は、人間が人間らしく生きる上で非常に重要です。いわゆるメリハリのある生活とは、何かに打ち込める時間と、それから解放された時間を差すように思います。つまり、何かに打ち込む事が見つかれば、それを職業として生きることが出来ます。
自らの主体性を信じ、自分の信じるものに従って生きることが出来たら、人生はどんなに楽しい事でしょうか。まずは、自分の可能性を信じて、何が出来るか、何がすきなのかを明確に意識させることこそ、ニート問題など、現在社会が抱える心の闇を解決する糸口のように思います。
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by naka50ne | 2005-07-29 00:47 | ビジネス

孫子の兵法は現代でも通用する

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とは、良く言ったもので、「敵を知り」「己を知る」って事の両方が出来れば、本当の意味で、負け知らずなんだろうなぁって思います。

まず、敵を知る。
ここで、敵といっているのは、現在に置き直すと、お客様であったりクライアントであったりします。また、場合によっては上司なんかも入るかもしれません。
この敵を知るって意味は、単に敵が何人とか何処の人、っていう表層的な部分だけじゃなく、どんな人物なのか、性格はどうなのか、趣向はどうなのか、依頼される仕事はなぜ発生したのか、など、もっと本質的な部分に近い所を知っている事が、必要だという事です。
その昔、蜀の諸葛孔明は、呉の周兪を破る際、女性物の衣装を贈って周兪を激怒させ、その興奮のあまり病を悪化させ死に至らしめました。これは、病によって興奮する事を諌められていた事に、孔明が気付いた事が勝因でした。本来なら知りえない内部の情報も、周囲をよく観察する事で、察し気付く事が大切なのです。

次に、己を知る。
己を知るとは、自分は男だとか、生年月日がいつだとかじゃなく、自分の思考癖を知り、自分の体調を知るという事です。
人間は、どんなに客観的に考えよう、公平に考えよう、多方面から考えようと思っても、やはり個人の癖というのは歴然として存在します。自身を振り返った時、同じような場面で同じような過ちを繰り返しているように思いませんか?これは、その人の人生の中で培った思考の癖が、影響していると考えられます。こんな場合はどうに考えるかという事が、長い人生の間でパターン化され、条件反射的に出てくるようになっています。
これを逆手に取ったのが、自己啓発系のセミナーなどで、成功者の思考癖を、繰り返し反芻する事で、自身の癖の一つとして取り込み、成功するための礎とするというものです。これって、結構効果があるなぁって思います。なぜなら、失敗した事の本質を突き詰めて、一つ一つ直していくのが、本来のやり方ですが、自己啓発では一種のマインドコントロールのように、成功者の思考をそのままコピーする事で、そのマインドを植え付け、全体的な思考癖を改善するので、非常に手軽です。ただ、悪いところまでコピーしてしまう可能性もあるわけで、一つ間違うとカルト教団のようになってしまいます。
思考癖と共に重要なのは体調です。人はいつも同じ体調ではありませんし、日々刻々と変化していきます。その変化に気が付くかつかないかは、非常に大きな意味を持っています。この辺は、女性の方は良くわかると思います。男性と比べその変調が激しいので、否応なしに実感させられているのではないでしょうか?
体調を維持する事も大事ですが、体調が変化した時の自分を知るというのは、思考癖を考える上でも、重要なファクターとなりますので、自分を細かく見つめなおす事は重要です。

さて、これらが判ってくると、戦を仕掛けるタイミングをいつにすれば勝てるか、どんな作戦で、どんなふうに動けば勝てるかというのが、判ってきます。相手の弱い部分と自分の強い部分が戦えば、必ず自分が勝ちます。そうやって一つ一つ勝ちを積み重ねる事で、ビジネスの成功が見えてくるように思います。
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by naka50ne | 2005-07-23 23:04 | ビジネス

何を期待されているか

人間は生きている以上、誰かの期待を背負っています。生まれ落ちたその瞬間から、親や祖父母、親戚などはその生まれた赤ん坊に対して、将来はこうなって欲しいいという願望で、一杯のはずである。
学校へ入学する事になると、親の期待はさらに高まり、その他にも友人関係が出来て、友人からの期待はその友人の数に比例して多くなることでしょう。また、初めて先生という目上の存在と接し、上の人間からの期待を始めて感じるようになります。
さらに社会人になると、身内だけでなく、社会全体が何を望んでいるかという、大きな壁にぶち当たる事でしょう。

この期待とは、いったいどんな期待があるのか、そして自分に科せられた期待には、どんあモノがあるのかという事を考えていくと、結構というかかなり、期待を裏切っている事に絶望するかもしれません。

自分に科せられた期待はどんなモノがあるか?
  ・親の期待
  ・彼氏/彼女/配偶者の期待
  ・社長の期待
  ・上司の期待
  ・同僚の期待
  ・部下の期待
  ・後輩の期待
  ・お客様の期待
  ・取引先の期待
  ・友達の期待
  ・ライバルの期待
  etc...
挙げて行くと、次から次に湧き出てきます。

この期待は、お互いが相反する事も良くあります。それを自分の意志で上手くコントロールして動かすには、自分の中で優先順位を決める必要があります。
今の自分にとって、何が重要なのか?目標は何なのか?といった事をしっかりと持つ事で、自ずから優先順位は生まれると思います。その優先順位によっては、苦渋の決断を迫られるかもしれません。何かを犠牲にしなくてはいけないかもしれません。それでも、人であれば決断しなくてはなりません。
逃げていては、何も始まりません。自分にできる事、自分にしか出来ない役割を自分で考え、自分で決める。そして、一度決めた事に後悔はしない。誤ったら、反省して次に繋げれば良い。そう思います。
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by naka50ne | 2005-07-21 00:29 | ビジネス

結果が全て

どの位長時間仕事をしたか、
どの位本気で仕事をしたか、
どの位考えて仕事をしたか、

これまでの仕事で、必要とされてきたキーワードです。しかし、今は違います。

どれだけ結果を出したか、
どれだけ利益を生んだか、

この2つしかありません。年功序列の世界では、前者で構わなかったのですが、社会システムのスリム化と、それに呼応した安値合戦。その中で求められるのは、徹底した個人管理と、成果主義という事になります。

酷い事を言えば、どんなに遊んでいても利益を出して、結果が残せるなら誰も文句は言わない。逆に、汗水たらして働いて、一日24時間をフルに使って働いても、利益や結果が出なければ誰にも認めてもらえない。そんな社会になりました。
実際、こういった生き方が、人間として見た時、本当に正しいのかという異論は有ると思います。それは否定しません。楽して儲けようとすれば、それなりの大きなリスクを背負うのは確かだし、そういった風潮の中で失敗して、人生が終わってしまう人も多数います。しかし、現実問題として考えた時、旧来の方法を守って、地道に仕事をこなしていった先には、リストラという冷たい社会の落とし穴が待っています。我々のような30代は、いやおうなしにこの流れに乗らなくてはならないでしょう。
丁度、高度経済成長時代に、従来の職人による手工業から、大量生産の時代に変わった時と似ています。いつまでも旧来の方法にしがみついた人は、一部の人を除き淘汰されてしまいました。あの時も、手で作らないのは味が無くなる、細かい仕事が出来ないと言った反発が強かった筈です。

あまりに無機質かもしれませんが、これからの時代を生き抜くには、何をおいてもまず結果を残すことが重要だと思います。結果の無い努力は、認められない、だからといって手を抜けば、辛いのは自分なんです。必要な事は、ある目標に対して、自らリスクをマネジメントする力。早い段階でリスクに気づき、リスクに対してどれだけ的確な対処が取れるか、そして目標を達成できるか、これが重要だと思います。
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by naka50ne | 2005-06-13 20:49 | ビジネス

平等なもの

福沢諭吉は、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言って、生まれながらにして人は平等であり、学問を受ける上での上下は無い事を説きました。
この教えは、当たっているような当たっていないような不思議な感じを受けませんか?

人はみな平等であるという考え方自体が、私は間違っていると思うからです。なぜなら、平等という定義は、何らかの尺度があり、それが均一化している事によって、成り立つと考えるからです。そして、この尺度は、人によって価値観という考え方によって、如何様にでも変化してしまう脆弱なものです。見方を変えれば、価値観を変化させる事で、平等の様に見せる事が出来るだけで、実は全く違うという事になります。

例えば、身長という尺度で見れば、高い人~低い人まで様々にランク付けされてしまいます。好感度なんかもそうですよね!勉強にしたって出来る人~出来ない人にランク付けされるし、貧富の差だって、世帯の年収ベースで見れば、裕福な家庭~貧乏な家庭まだランク付けされます。また、性別にしたって、男と女がありますから、そこで区別されてしまいますし、神の世界においても、天国と地獄があるように区別されています。神の愛は平等だと言っても、神の愛は地獄までは届きません。
ありとあらゆる尺度によって、人は選別されますので、決して平等ではない事が判ります。誤解を恐れずに言ってしまえば、「人は生まれながらにして平等ではない。」という事になります。

そんな不平等な社会で生活する人間にとって、本当に平等なものは、時間と言う尺度です。地球が自転を続ける限り、時は誰にも平等に過ぎていきます。タイムマシンでもない限り、時空を越える事はできません。相対性理論では時空を越える事が、可能となっていますが、その理論を実現するエネルギーを人類は持っていません。
もちろん、寿命の長さは平等ではありませんが、1秒、1分、1時間という時間の進みは、誰にでも平等なのです。
つまり、時空を飛び越えられない人間にとって、時間は唯一平等に与えられた尺度だと言えます。

この時間を、どれだけ有効に使ったか、どれだけ無駄に使ったかで、その人の人生における密度というのが変わってくるように思います。
一番イイ例が、学校の夏休みじゃないでしょうか?
夏休みに入ると、子供は学校から解放され自由を手に入れます。24時間を好きに使って良い事になります。ここで、休みの使い方が、3通りに分かれます。
1つは、夏休み前半に集中して宿題を終らせ、8月頭位から弾けたように休みを謳歌する人。
2つは、夏休み当初から遊びまくり、最後の1週間で集中して宿題をする人。
3つは、夏休みと言えども、毎日の勉強を欠かさず行い、1日を勉強と遊びで区切る人。
こんな所じゃないでしょうか。でも、実はこの3パターンに入らない夏休みを過ごす人も、少なくないのです。
それが、夏休み前半にやるぞと意気込んがものの、3日もすると遊びが主になり、宿題の事は頭にあるけど、なかなか手が付けられずに、後半を迎え、最後の最後になって慌てて宿題をやる。そして、さらにそれで終る人と終らないで2学期の居残り勉強に命を賭ける人がいます。
どうですか?あなたは、最後のパターンではありませんでしたか?

最初の3つのパターンは、どれも遊びと勉強をきっちりメリハリを付けて時間管理してますので、宿題と言う成果物が出来上がり、かつ夏休みを謳歌する事が出来ています。一方で最後のパターンの人は、時間管理が出来てませんので、常に宿題の事が頭から離れず、折角の夏休みを謳歌できないばかりか、宿題も出来上がらなければ、成果物も出てこないという事になります。

これって、社会人になった今も、変わらないんじゃないですか?ながら仕事で、ダラダラ仕事をする人と、短時間に集中する事で、空き時間を作って余暇を楽しんでる人。どちらも同じ収入だったら、圧倒的に後者が良くないですか?

時間は、人にとって平等に流れている。その平等に流れている時間を、どう使うかで人には差が生まれる。同じ境遇で同じような環境にいる人と、差が出るとしたら、こんな所なのかなって思います。
私自身は、最後のパターンの子供でした。今、社会人になってもやはり変わってなかった事に、驚いています。でも、そこに気づかなければ、変わる事もありません。限られた時間をどれだけ有効に使えるか、密度高く使えるかを、今一度考え直してみたいと思います。
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by naka50ne | 2005-06-05 21:15 | ビジネス

甘え構造を打破するには

会社組織の中にはどのような甘え構造が存在しているか?
・このくらいのチェックで、大丈夫だろう
・彼(彼女)ならこのくらい、やってくれるだろう
・先輩(上司)なら、これは判るだろう
・etc...
この、省略できる行為としての「だろう」は、あるいみ仕事の効率を高めていく上で、諸刃の剣である。しっかりとした信頼関係の上で、以心伝心が成り立っている組織では、日本人特有の察しの心が機能し、先手先手を打って動くことが出来る。しかし、現代社会における組織内の信頼関係は、いわばガラスの関係。何かインパクトがあれば、簡単に砕けてしまう脆弱なもの。個人主義が横行し、和ではなく個を重んじる風潮の中で、「だろう」という仮定は、ほとんどの場合裏切られてしまう。

たとえば、「A君、この資料を午後の会議で使うから、整理しておいてくれ」というB課長の依頼に対して、A君はどのように動くか。この時のB課長の気持ちは、「午後の会議で使うと知らせたのだから、まとめた後で人数分のコピーくらいはしてくれるだろ。」という事になる。対してA君の気持ちはどうだろう?「会議で使うんじゃ、まとめて人数分のコピーは必要だな。何人参加するんだろうか?」というのと、「忙しいんだけど、B課長の頼みじゃ仕方ないな。しょうがない、適当にまとめておくか。」というのでは、明らかに行動が異なってくる。前者であれば、B課長の思いと一致しているから、問題ないですが、後者だった場合、会議直前になってコピーを慌てて取りに良く事になってしまう。枚数が多ければ、最悪会議の開始が遅れてしまう事だって考えられるだろう。

このように、会社組織内において「だろう」という仮定は、相手の考えかた一つでどのようにでも変化してしまうものです。上記の例だと、B課長から見たA君が前者だった場合は、「良し、あいつは良く出来る奴だ」って事になり、後者だった場合は「あいつは、使えない。もう使うのは止めよう。」という事になってしまう。この場合、B課長とA君とどっちが悪いのか?普通に見ると、A君のように見えなくも無いですが、すでに忙しいタスクを実行している彼に対して、割り込みの作業を入れたB課長の、配慮ミスという側面もあるのではと思います。B課長の命令に、「会議には○人出席するから、人数分のコピーも忘れずに頼むよ」という一言があれば、A君の失敗は未然に防げたはずです。

この辺が会社組織内で言うところの甘えの構造です。
B課長は「A君なら、ここまで言えば判るだろう」という甘え、A君は「B課長の言うとおりに仕事をすれば、大丈夫だろう」という甘え、これらは、各個人を信頼する上での依存関係とも言い換えることが出来ると思います。
相手を信用して、依存することで自分の負担を減らす。あえて自分が苦労しなくても、相手に従うことで、自分を守ろうとする気持ち。これこそが甘えの原点だと思います。

この甘えを排除するには、どうしたら良いのでしょうか?
そのためには、まず個々人が他者に対する依存を止める必要があります。依存を止めて共存の道を探る。蛇足であるとしても、一言付け加える事で、本当の意味を端的に理解してもらう。というのが必要です。
ただ、これには弊害もあります。依存を止めるという事は、本当の意味での信頼をしなくなるという事ですから、人間関係が希薄になります。個人主義がますます横行し、自分さえ良ければという事になりかねません。
そこで、重要になるのがルールの策定です。何かを行おうとした場合に、そのルールに則った方式で行う。個々人の意識を平準化して、意識の相違を未然に防ぎ、そのルールの内部でのみ、「だろう」という仮定を許す。というものです。この辺の究極が、CMMやISO9001などです。規約やルールで一定の縛りを入れることで、作業を平準化し、効率を高めようという動きですが、これも度が過ぎると、ルールに則った資料作成に時間を取られ、実作業が進まないなんていう事が起きます。そのため、常にPDCAを実践することが大事になります。

ちなみにPDCAとは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)の頭文字をとったもので、これらが有機的に機能することで、品質の維持・向上や継続的な業務改善活動を可能にするという、マネジメント手法の一つです。これを実践するには、各個々人が従うのではなく、考えることから始まります。「○○が言ったから行う」「○○に書いてある(規定されてる)から行う」のではなく、「規定ではこうなっているが、ここではどうするべきか」「○○の指示している意図は何か」という気持ちで作業に取り組む必要があります。

これらは、上司の指示でどうなるものではありません。自分がまず変わること。そして、その気持ちを回りに伝えて、変わってもらう事が大事だと思います。もちろん、上に立つ人間は非常に大事ですが、そうでない人も重要なのです。人は自ら変わる事には熱心だが、人から変えられる事は拒絶します。しかし、個々人が変わらなければ、組織は変わらない。一人一人が何をするべきかを考えて、一人一人が変わってこそ、変革はうまくいきます。
トップに立つ人間は、方式を決めたらそれに従わせるのではなく、その方向へ導くためのビジョンを説明するのが大事です。

会社組織は、放って置けばどんどん甘え構造が大きくなります。その行き着くところは、無責任体質によるモチベーションの低下です。昨今問題になっている、公務員や三菱自工やJR西日本を見れば、無責任体質がどれだけ会社全体に悪影響を及ぼすかは判ると思います。これを打破するには、常に考えて行動できる体質を維持することが大切です。
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by naka50ne | 2005-05-30 12:04 | ビジネス

どこまでが我慢?

「佐倉さんって本当に我慢強いですよね!俺だったら速攻で辞めますよ!」
会社の若い社員が、私に対して言った言葉です。
まぁ、なんでこんな言葉が出たのかと言いますと、今の会社には4/1に入社したばかりなのですが、最初に入るはずのプロジェクトが、マネージャのミスで潰れ、次に入ったプロジェクトは、既にデスマーチに一直線になってるような状態で、激しい残業が連続してました。でも、悲しいかな試用期間であるため、どんなに残業しても残業代は出ません。そんな中、休み返上で仕事をしたり、毎日残業したりっていう私の姿を見てなんです。

まぁ、普通に考えると、私のような試用期間の人間にまで残業が発生してしまうのは、マネージャーやリーダーがしっかりと交渉をまとめられなかった為に、スケジュールの渋滞が発生し、予定外の労力まで動員しないと収束させられない。「だから、上司が悪いんだ!」って言ってしまうのは、簡単なんですよね!
でも、ちょっと待ってください。プロジェクトを組んで、みんなで仕事をしている目的はなんだろうか?より良い物を作り、お客様に喜んでもらい、それにより対価を頂きつつ、製品を物言わぬ宣伝材料として、次の営業に繋げる事が目的ではないのだろうか?つまり、ここで優先させる事は、スケジュールの渋滞を起こしてしまったリーダーやマネージャを、メンバの手により助け、早く正常な状態に戻すことではないだろうか?
プロジェクトとして人が集まり、仕事をしている限り、ミスは誰にでも起こるもの。そのミスを「お前が悪いんだ!」って言って吊るし上げるのは簡単ですが、そこから生まれるのは何だろうか?吊るし上げられた人間は、吊るし上げた人間に対して不信を抱き、それがいつしか明日がわが身となれば、プロジェクトの結束なんかあったもんじゃない。吊るし上げは、百害有って一理無しです。それよりも、一人の失敗をみんなでカバーすることで、メンバの結束はより強いものとなり、失敗をしても、みんなの力でカバーしてもらえると思えば、思い切った判断と思い切った仕事が出来るようになり、1の力しかない人が1.5や2といった力を発揮するようになります。これこそが、集団の力であり、プロジェクトの力です。

プロジェクトの中で、リーダーやマネージャといった上に立つ人間は、メンバ全員に対して責任を持ちます。メンバに遅れが発生したり、ミスが発生した場合は、リーダーが責任を持って収束を図ります。逆にリーダーやマネージャのミスは、メンバ全員が責任を持って収束を図ります。世の中には、前者しか認めず、リーダーのミスを鬼の首でも取ったかのように責め立て、それで増えた自分の作業の愚痴を方々で言いふらすという人間います。でも、それは自分の無能を言いふらしてるのと同じなのです。

人は誰でもミスをするもの。そのミスを如何に補っていくか、その補う作業にどういった気持ちで向かうかで、その人の成長が変ってきます。いつまでも、「あいつのせいだ!」といって、仕事をやらされている間は成長しません。「あいつのミスをどうやって補ってやろうか」「どうやったら正常に戻せるだろうか」という気持ちで、仕事を自ら行えるようになって、初めて成長します。また、ミスを全員が共有することで、同様のミスを未然に防ぐ方法が考えられ、仕事の質も上がっていきます。

私は好き好んで我慢してるわけではありません。時には愚痴も言います。でも、本質を考えて、今何をするべきかを考えれば、おのずと自分のやるべきことが出てくると考えています。
若い人にとって私の姿は、我慢してる様にしか見えないかもしれません。しかし、私の姿から早くに仕事の本質に気付いて、自分に課せられた使命に気付いてくれる事を願ってます。
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by naka50ne | 2005-05-14 22:21 | ビジネス

とりあえずミッション完了

お久しぶりです。この所めっちゃ忙しい状態になってまして、しばらく放置しておりました。とりあえず一区切り付いたので、忙しかったミッションを振り返って、差障りの無い程度に書きたいと思います。

私は今、ある会社の新基幹システム構築のプロジェクトに、携わっています。このプロジェクト、聞こえはいいのですが、以前にも書いたとおりリーダー不在で、かなりデスマーチへ突進してるような感じです。
そんな中、上位工程を行っているプロジェクト本体から、連休前に提供された仕様書やサンプルプログラムの出来が、あまりにも劣悪であったため、社長の命令で私が休み返上で全てを解析し、こうあるべきという視点から、多くの指摘項目を叩き出しました。
それと平行して、上層部の間では、私をプロジェクト本体に送り込み、立ち往生しているプロジェクトを、なんとか前進させようと言う計画が、着々と進んでいました。
連休も終わろういう某日、社長とマネージャーから「来週からプロジェクト本体へ、一週間行って貰う。その使命は、指摘項目を出来るだけサンプルに盛り込ませ、納期を守りつつ品質を向上させること。その為の手段は問わないので、出来る限りプロジェクトが良い方へ向くように頑張ってくれ。」という話がありました。体制の説明があり、グループのトップを張っている、部長や取締役の直下に付く事になり、自分で思ったこと、やりたい事をそのトップの名前を借りる形で指示を出すと言うことでした。
私は2つ返事でOKを出し、単身でプロジェクト本体へ乗り込む事にしました。

プロジェクト本体へ行くと、既に主要メンバやエンドユーザーが待っており、自己紹介もそこそこで会議が始まりました。私の指摘は、自分の経験と知識に基づく、こうあるべきという指摘なので、システムの工程上、もう後戻りできないような部分にまで言及してます。その為、いろいろ激しい抵抗もありましたが、勘違いを除くほとんどを認めさせました。また、その中で、プロジェクト本体側の持っている、勘違いした部分を正し、本来あるべき姿勢に持っていけたのは幸いでした。良い意味でのディスカッションが盛り上がり、何が必要なのか、どんな表現が適切なのかという事が決定し、とりあえず1週間で出来る事を最大限やって行こうということで、全員が一致できました。
プロジェクト内での私の立場は、テクニカルアドバイザと言うことで、技術的に詰まった時の解決方法の提示や、表現に対してのレビューア(意見を言う人)として毎日会議会議の連続でした。

大変な仕事でしたが、自分が中心になって動いている実感がある分、充実した仕事が出来たように思います。実際の成果としては、木曜日に会議のために来た、会社の若い社員が新しくなった仕様書を見て、「何が言いたいか、なにを言ってるのかが判らないレベルから、これなら作れそうってレベルまで来ましたね」という感想が全てを物語っています。実際にプログラムを作る若い社員が見ても、何が必要でどんな事をすれば良いかが判れば、誰の目から見ても判りやすいと言うことで、とりあえずの成果はあったかなと思います。また、停滞していたプロジェクトの動きが、活発になってくれたのは、そのプロジェクトに所属する人間として、非常に嬉しく感じました。この調子で、プロジェクトが上手く回ってくれればなぁって思います。
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by naka50ne | 2005-05-14 11:15 | ビジネス

自分で思った事を、自分の言葉で綴っていきたいと思います
by naka50ne
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