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佐倉爆心追う、の気ままな気持ち

日航機墜落事故から20年

昨年書いた日記ですが、今日のフジテレビで放映された日航機墜落事故の特集を見て、同じ気持ちになったので、上げてみます。
当時、私の父は遺体収容所となった藤岡の体育館へ毎日のように応援で行っていましたが、父がため息をつきながら言った言葉は「あそこは地獄だ」でした。これは、それを裏付けるような、生々しい話でした。



2004/11/03 (Wed)
市立図書館で開催された講演会に参加してきました。
講演は約20年くらい前に起きた日航機墜落事故を題材に「生きるということ」という題で行われました。講師は、当時の身元確認班の責任者であった飯塚訓さんで、事故現場を生で見てきた体験談が話されました。

事故の概要ですが、羽田発大阪行きのJAL123便が伊豆半島沖で圧力隔壁の爆発を起こし、垂直尾翼を損傷。そのまま操縦不能となり、ダッチロールの末に、群馬県上野村の山中に墜落。乗客乗員524人のうち520人が死亡という痛ましい事故でした。
墜落までの経路と様子は↓が良く判ると思います。
日航機墜落までの軌跡

最初に話があったのは、事故発生から現場到着までの経緯と生存者発見に至った経緯でした。
墜落現場は山間奥深くであったため、現場到着までもの凄い距離を歩かなくてはならなかったそうです。
第一発見者は、地元上野村の消防団および猟友会のグループだったそうですが、同じ時間に出発をした機動隊や自衛隊が到着するにはまだ暫くかかったそうです。消防団長の話として「文明の機器に頼るのもいいが、俺達みたいに普段から野山を歩いてる人間にはかなわないじゃないか。上野村は文明とは、対極に位置する村だけど、いざとなったら俺達のほうが役にたったじゃないか。文明の機器に頼るのも考えもんだなぁ。」っていうのが紹介されました。凄く的を得てると思いました。
ちなみにコレを言った人が第1の生存者川上麻衣子さんを発見し手製(上着と木の枝とツルで作った)担架に乗せて、頂上付近まで運んで自衛隊機に引き渡したそうです。

次に話があったのが遺体の様子と数でした。死者は520人でしたが実際に検死の行われた数は2065体だそうです。その他にも検死対象とならない肉片や骨片が相当数あったので、遺体の数は数千になるだろうという話でした。また、完全体として処理された、遺体は420体あるそうですが、ここで言う完全体とは、五体全てが完全に残ったモノではなく、首が繋がっているかどうかという事で、区別されたそうです。中には顎から上が無いもの胸から下が無いもの半身が無いものなども含まれていたそうです。また、亡くなった520人の中には15歳以下の子供が75人、そのうち5歳以下の幼児が22人含まれていたそうです。
検死班は22班の編成で活動したそうですが、検死官も自身の子供と同じ年代の遺体を何体も処理しなくてはならず、涙を流しながら作業をしたそうです。時には涙で前が見えず検死体撮影用カメラのシャッターが押せずに
泣き崩れるシーンもあったそうです。
また、エピソードとして関西方面に住むおばあちゃんの話が出てきましたが、その息子とお嫁さん、そして3ヶ月になる赤ちゃんが、事故の犠牲となったそうです。そして、見つかった赤ちゃんの遺体の小さな手には母親のブラウスのボタンがしっかりと握られていたそうです。こんな小さな赤ちゃんでも、死を目の前にした時の恐怖は感じていたんでしょう。と講師の飯塚さんも涙声で話されましたが、俺も目頭が熱くなりました。

その後は、遺体の安置された藤岡体育館の状況やその後の状況が話されました。暑い夏の為、遺体の腐乱が酷く、ウジが大量発生したそうです。御巣高山の尾根から体育館に到着する事には、遺体が見えないくらいのウジがたかっているそうです。外の水道で綺麗に洗い流してから棺に入れるのですが、検死の時に、棺を開けると、遺体が盛り上がるくらいのウジが既に発生してるようなありさまだったそうです。
また、少しでも人間に近い形で遺族に引き合わせたいという事で、皮だけになってしまった遺体や、指一本になってしまった遺体も、ガーゼで人形を作り、そこへ乗せて包帯を巻き、遺族へ渡したそうです。

警察も消防も医者も看護婦も日本航空の職員も、寝食を忘れて作業にあたっていたそうですが、そんな中でも悪い奴はいるそうで、遺族だと言い張ってホテルで悠々自適の生活をし、飽きると長野の旅館へ行き芸者遊びをする人や、その辺で拾ってきた石を、悲しみに暮れる遺族に対して、「これは御巣高山の尾根から運んだ石だ」
といって高額で売りつける人などが現れたそうです。大変な人間を食い物にする行為は、許せないですね。お前はそれでも人間か?って言いたいです!

親父から、当時の状況はなんとなく聞いていましたが、これほど酷い状態だったとは知りませんでした。腐敗臭が酷いのでマスクの中にサロンパスを入れていたそうですが、まさに本当の話だったんだなぁって感じました。
最後に航空史上最悪の事故であったこの事故ですが、もう二度と起こらないで欲しいと思いました。また、最近は凶悪事件が多く簡単に他人を殺してしまう世の中ですが、自殺者も急増しています。これは、飯塚さんも言っていましたが、人の死に対してあまりにも知らなすぎるのではないか、死という現実をもっと直視できる社会
になっていかなくてはダメではないかという事を感じました。
私は父方の祖父/祖母、母方の祖母を病気で亡くしていますが、最初は、祖父や祖母が亡くなった意味が判りませんでした。しかし、俺を一番可愛がってくれた母方の祖母が亡くなった時は、はじめて涙を流して、死という現実を理解したような気がします。今は核家族化が進み、死を直視する現場は殆ど無くなってしまいました。死をもっと身近な現実として捉えられないと、今後も凶悪事件は続いてしまうのかなと感じました。

以下のサイトでは、実際の墜落現場の生の写真がダウンロード出来ます。
しかし、これは目を覆いたくなるような写真です。心臓の弱い方は絶対に見ないで下さい。俺はこれを見て涙が出ましたが、それだけでは済まないと思いますので、興味半分の閲覧は避けてください。
本当に、この事故の真実を知りたい人のみ見てください。

日航機墜落までの軌跡(トップページ)
by naka50ne | 2005-08-12 23:14

自分で思った事を、自分の言葉で綴っていきたいと思います
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